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わがしごと

3月
2017
02

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私は昔、五反田と蒲田・溝の口をつなぐ東急池上線の「旗の台」という
駅の近くに住んでいました。

すぐ隣の駅は「長原」といって
この書籍の著者であり、今あらゆるメディアに登場し注目を浴びる2人組の和菓子ユニット、wagashi asobiさんのお店がある駅でした。(現在は2人組ではなく、4人に増えているそうです)

ある日、私がぶらりと長原商店街を散歩していると、
少し奥まった白い古民家の前に、みたことのないおしゃれな看板が出ていました。
そこには小さな文字で、「wagashi asobi」とかいてありました。

お店の前には、たまたま白い服を着た女性が立っていて
それが「wagashi asobi」の職人の一人、浅野理生さんでした。

なんとなく話しかけられてお話をさせていただくうちに、
浅野さんと私はともに北海道の、
札幌でも旭川でも小樽でも函館でもなく、道民でさえも「それってどこ?」と首をかしげるような、小さな田舎町の出身であることがわかりました。

 

東京に来て、これまで同郷の出身者に出会ったのはこのときが初めて。
それもあって、理生さんには勝手にシンパシーを感じてしまいました。
その後も、お二人が参加されるイベントにちょくちょくお邪魔させてもらうようになったのです。

 

本文の中には、「東日本大震災のあった年に、wagashi asobiはオープンしました」とあり、理生さんと会ったのが、本当にお店がオープンして間もない頃だったのだとはじめて知りました。

 

本書には、wagashi asobiさんが誕生するに至った経緯や、なぜここまで人に愛される和菓子屋として成長できたのか? が、彼らの仕事論を通してたっぷりと語れています。
しかもそれが、読み手に心地良い密度で遊び心たっぷりに表現されているから、手を止めずに一気に読んでしまいます。

それもこれも、一行が負担のない文字数でレイアウトされていて読み手に親切なこと、wagashi asobiのもう一人の職人である稲葉基大さんが、言葉asobiの達人で、その感性をあますところなく散りばめてくれいたからだと思います。

彼らの「言葉」の感覚は、ライターとしてみならうべき部分がたくさんありました。

 

 

そして、この本を読んでもっとも印象に残っているのが
P72の「必然性」についてのお話です。

wagashi asobiさんの作る和菓子は、しばしば「斬新で新しい和菓子」としてメディアなどで紹介されています。でもそれは、狙って作っているわけではないのだそうです。
テーマを与えられて作った和菓子がたまたま商品となったのであったり、できるだけ自然に近い原材料にこだわった結果だったりと、そこには彼らなりの「必然性」があったのですね。
地元密着で、たった2つの和菓子で勝負をしているのだって、クォリティを保つにはそうするしかなかったという「必然性」を感じてのことなのだそうです。

(本書抜粋)
必然性を意識することで、やるべきことが見えてきます。
必然性を意識することで、やるべきではないことが見えてきます。
必然性を意識することで、より効率的に目的に達成することにつながります。
必然性を意識することで、欲張りにならず世の中と調和することができます。

1年半前、私はライターとして、この「必然性」に悩んでいました。
あるライターさんからお仕事の依頼を受け、当時はとにかくどんな仕事でもしてみたくて、一も二もなく「やりたい!」と手を挙げたところ、

「あなたは、自分がこの仕事をやることに必然性があると思って手を挙げているの?」とその人から問われたのです。

はじめはピンときませんでした。「やりたいだけじゃだめなの?」って。
その後はなんとなくわかったような気になっていたのですが、この本を読み、彼女の言っていたことの真意が、私の中でストンと腑に落ちたように思います。

 

それだけでも、この本を読んでよかった。

 

理生さんとは、その後もふしぎなご縁が続き、私たちはほとんど同時期に女の子を出産しました。

だけど、子育てをするため旗の台を引っ越してからは、ずいぶん会っていないなあ。
久しぶりに、なんだかとても会いたくなってしまいました。

備忘録

2月
2017
28

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大多数の両親が知りたいのは、
普通の人の、普通の育児なんじゃないだろうか?

ちょっとした、こんなときにどうする?ということを
専門家や超絶できるママにきいたところで、解決なんてするわけがない。
地頭のレベルがちがう親から生まれた子供と同じ英才教育を子供にさせて、どうなるというんだろうか?

 

昔、あるベビーサロンで

「お子さんに、どんなふうに育ってもらいたいですか?」

と保育士に聞かれたことがある。

 

大多数のママは、「健康でやさしい子になってほしい」と言っていたのだけれど、
あるママが

「人を魅了するような人に育って欲しい」

と言っていたのが忘れられない。

 

その背中、見せて育てるの大変だぜ。とおもった。

 

 

 

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腐った言葉の中では、腐った言葉が育つ。

いわば、家庭は土壌だから。
言葉の土壌、情緒の土壌、健康の土壌、

どんなにきれいな美しい言葉を吐き出してみても
赤ちゃんの目には、耳には敵わない。

人の感情をキャッチする能力は、
赤ちゃんの方が大人よりもずっと高いそうな。

生きる知恵。こわいくらいの感性。

 

 

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文章がうまくなりたい。ことばを、肌感覚であやつれるようになりたい。

ダイレクトに、人の心に届くような言葉を綴りたい。

この気持ちは、あれに似ている。

「海外旅行に行きたい」と、パスポートを手にしていながらどこの国へも行けないフラストレーション。

行きたいのは、ことばの国。

仕事復帰

2月
2017
24

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本日から、徐々に仕事に復帰しています。

まだまだ、赤ちゃんが眠っている間の作業でそこまではかどらないのですが、仕事ができるのは、うれしい。

今年は、もう少しいろいろなバリエーションの文章が書けるようになりたい。
「これらすべての文章を、たった一人のライターさんが書いたのですか!?」と、言われるような。

そのためにも、模写、模写、模写。

基本にたちかえって、謙虚にライティングさせていただきます。

 

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確定申告の時期がやってきました。

今年は、MFクラウドを活用しはじめたんだけれど
正直、使い勝手がいいのかわるいのか判断がつかない。

 
日常的な記帳だけなら十分満足なんだけどね。

 
確定申告のために仕入れを月ごとに書き出したいのだけど
家事按分をつかうと、正確な数字がでないので申告書に記帳するためだけに
もういちど計算し直しだなんて。。

 

わかる人にしかわからないぼやき。。

でした。

 

 

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またまた日経DUALですが、こんな記事がアップされていました。

「保活が大変!」という記事は多々あるけれど、ここまで真に迫ってくる記事は初めてかもなあ、と。書き手のくやしさや苦しさがぐるぐるととぐろを巻いているかのような力のこもった文章。
最後の、

欲しい福祉サービスや助成金などは多々あるが、願って止まないのは、日本が「子どもが社会に歓迎されている」と感じられる国になること。

 

ということばには、100回頷きました!

 

妊娠中も産後も、電車の優先席に座るようになって初めて見えてくる世界がある。
そして残念ながら、私が母親になって一番増えた口癖は「すみません」と「ごめんなさい」でした。

そして、こうした言葉ばかり口にしていると心はどう変化していくかというと、
「私が産み、育てているものは一体なんなんだろう?」と、我が子のかわいらしさにネガティブなフィルターがかかっていくんです。

 

「そんな、おおげさな」って思われるかもしれません。

 

だけど世間の母親なんて、誰しも1年生。まるで自信のないところから育児をスタートさせているわけです。
なのに、夫の帰りは遅くてあてにならない。育児を一緒にしているわけではないから、孤独な気持ちや大変さの本当のところは理解してもらえない。経験者であるはずの自分の母親には、「私たちの頃は・・・」と武勇伝を語られるだけ。
狭いマンションの中、近所迷惑にならないようにとひっそりと子どもと二人きりで過ごしている母親が気晴らしをしようと電車で外出したら、あちこちからきこえてくる「(ベビーカー)邪魔なんだよ」といわんばかりの舌打ち。

こんな社会ではとても、子育てをしている自分を誇らしく感じられるはずがないんです。
それに加えて、もしこの記事の筆者のような「保活」での苦悩、いざ入園した保育園での信じられない光景を目の当たりにしたら?

人によっては、「子どもを育てることは悪いことなんだ」という気持ちが湧き上がってくるのだって、ちっとも不思議ではありません。
私が筆者だったとしたら、とっくに働くことを諦めていたでしょう。

 

長女が2歳のとき、結婚式があって私は姉と3人でグアムに行きました。
グアムは南国特有のゆったりとした時間が流れていて、そして子どもがそこにいるということが、とても自然な国だった。

結婚式の会場では、私は食事のサーブをしている女性から声をかけられて、
「あの従業員が、どうしてもこの子(娘)にフルーツ盛りをあげたいというのだけれどあげてもいいですか?」と聞かれました。
わけがわかりませんでした。「どうしてそんなことしてくれるの?」って不思議な気持ちになったんです。

だけど、その人は単に子どもがかわいいからそうしたいと思ってくれただけなんですよね。私はそのとき、こんなふうに皆からかわいいと思ってもらえる子どもを育てていることが、誇らしかった。

 

残念だけど、東京にいてそんな気持ちになれたことはありません。

もちろん、いつもいつも嫌なおもいばかりしているわけではなく、東京にだってフレンドリーに話しかけてくれるおばさんや席をゆずってくれるサラリーマンもいます。本当にそれはありがたいことです。

だけどその一方で、「妊娠中は嫌がらせを受けないために妊婦マークは隠していた」という妊婦は、めちゃくちゃ多い。子どもと一緒に電車に乗っていて、とても子どもには聞かせられないような言葉をかけられたことのある人だって、本当に多いんです。

私は昔の日本を知らないから、今がどうとかっていうことはわかりません。
だけど、子どもを産み育てることが昔よりもメジャーでなくなってきている昨今、子育てへの理解者が今以上に増えていく可能性はそこまでないと思うんです。

だから、「社会に歓迎されたい」とまでは言いません。だけどせめて、「子どもがいることが自然な社会」ではあってほしいな、とは願っています。

絶唱

2月
2017
20

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湊かなえさんの「絶唱」を読了。

手にしたきっかけは、何かのテレビ番組で湊さんがトンガをおとずれていて、
そこで過ごしたボランティアの日々を回想しながら、この書籍に込めた思いをあつく語っている姿が印象的だったから。

正直、他著書にくらべて「おもしろいか?」ときかれたら、
この本ではなく「白雪姫殺人事件」や「母性」をおすすめします。

なにがいまいちだったかというと、たぶん「トンガ」という特異な場所が舞台となっているので
その説明を、どれだけどのようにすべきかということに著者の意識のおおくが向けられていて、彼女の得意とする「日常の違和感」にたどり着くまでに時間がかかったから。

それと、あとはやはり「思い入れ」が強すぎたからではないでしょうか。

人に読まれる文章って、最低でも2つの視点が必要なんです。
ある出来事に対して「自分が」ダイレクトに感じる視点と、全体を俯瞰してみるべき「読者の視点」。

だけどこの本は、後者が圧倒的に足りなかった。

湊さんは、阪神淡路大震災の被災者なんですよね。でも、それをネタにして本を書くことはしたくない、被災体験をお金に換えるようなことはすべきではない、とずっと思ってきた。
それは、震災で友人を亡くしたことはもとより、同じ被災者の間に生まれる「被災格差」のようなものに起因していて、
湊さんは、「助けに行こうと思えば行けた友人を助けに行かなかった自分」を、ずっとうしろめたい存在として抱えていたから。
そんな湊さんを変えてくれたのがトンガで出会った人々や宗教観で、本書はトンガ時代の知り合いから、「そろそろ書いてもいいのでは?」と勧められたのがきっかけで筆をとったそうです。
だけど客観的になるにはもう少し時間が必要だったのかもしれない。

湊かなえさんと並列で語るのは大変恐縮なのですが
私も、インタビューでいい話、共感する話をきいたときには、それを客観的文章として昇華させることにとても苦労します。

だけど、それはある意味、言葉と自分の距離感がそれだけ近いからなのかもしないですよね。

本書で印象に残っているのは、大学時代を「バイキング」になぞらえていたこと。

高校までの学生時代、そして社会人とちがって大学時代が楽しいのは、嫌いな人たちと深く関わる必要のない「バイキング」のような時間だから。

と書かれていて、激しく同意。

 

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2016年8月に劇場公開された、映画「ハートビート」。
昨夜DVDを観たんだけれど、そうとうきていました!

 

こんなにも視覚と聴覚といった感覚器をダイレクトに揺さぶられる映画は久しぶり。

 

正直、ストーリー自体はベタな青春サクセスストーリーなんです。
凝った伏線がはられているわけでもなく、悪役はその底意地の悪さを包み隠すことなく悪役に徹し、主人公とその相手役は美しい善人面、という。
日本に昔からある青春漫画を彷彿とさせる設定。

 

だけどこの映画のすごいところは、
「バレエ×ヒップホップ×バイオリンのコラボレーションは必見!」と謳われているとおり、ダンスバトルやバイオリンバトルが随所に散りばめられていて、
しかもそれがその道のプロばかりを厳選したキャスティングによる本物のエンターテインメントだから、画面からはプロが人生をかけて積み重ねてきた汗や膨大な時間を感じることができるんです。
それは、キャストの筋肉や四肢や呼吸や血流のすべてが、何にも変えがたいリアリティとして画面に緊張感を生み出しているからなんですよね。

 

「シカゴ」などのすばらしいミュージカル映画があるように、「ダンス&音楽バトル映画」という新たなジャンルが確立したような感じ。
ダンスやバイオリンの演奏の盛り込まれ方も、違和感なく自然。

だけど、見せてくれるんですよ。「映画」ではなく「舞台」を。だからこその臨場感と鑑賞後の余韻がはんぱない。

 

ちょっと、この映画を観ないのはもったいない!
「話題の」に引っ張られるのではなく、こういう隠れた名作にもっともっと出会っていくことを怠けてはだめだなあ。それだけだと世間のニーズはつかめても、自分のニーズは掴めないからなあ、と。

ハウツーメソッドみたいな人生にならぬよう、しっかりと目を見開いていこう。

いつも旅のなか

2月
2017
16

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角田光代さんの言葉は、なにがこんなにも強いのかなあ。

ひょうひょうとした人柄からは想像もつかない、少し男性的な文体と
彼女ならでは視点で切り取られた世界の、生々しさとやさしさ。

魅力的な人とそこから放たれる言葉はつながっている。

言葉は年を追うごとに血肉化されていくというようなことはいつか書いたけれど、
彼女の文章を前にすると、正座したくなる。
そういう意味においての、お手本のような文章。

さて、私は私のやるべきことをやるか。

今日はおしまい。