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「ぼくは勉強ができない」という山田詠美さんの書籍があるけど、
タイトルに反して、その中身にはさまざまな知識がぎっしりと詰まっていたように思えた。

対して私は、ほんとうに勉強ができない。
というより、記憶力が極端にない。

これは長年のコンプレックスで、だから学歴の高い人のそばにいるだけで、ものすごく恐縮してしまう。
それはもう、「どうせ」などと卑屈になったりするようなレベルではなくって、
出身校が「東大・京大」なんてことになると、もう「ははあ」と足元にひれ伏してしまいたくなるレベルで。

当然のことながら、そんなことだから昔から忘れ物が多い。
それに、ずいぶん人とのご縁もなくしてきてしまったように思う。人の名前と顔も覚えられないからだ。

これはなんとかしなければならないと思い立ち、
この本を手にしたのは4年前だった。
この本は、要は脳の「ものごとを関連付づける習性」を利用し、
反復ではなくイメージを活用して記憶していく実践的なトレーニング書なのだけれど、

1度目の時には、読んでからしばらくの間はなんだかとっても頭が冴えていたような覚えがある。
忘れ物の回数も減ったし、何より人の電話番号をすらすらと記憶できるようになったのには驚いた。

それを今、なぜまた再読しようかとおもったかというと、
どうにか英語をマスターできないかと思ったからだ。

だけれども英単語というのは、日本人が語呂あわせやイメージを活用して関連づけていくには、持ち合わせているボキャブラリーが乏しすぎる。
当然のように語呂合わせはこじつけになってしまい、語呂自体が思い出せなくなってしまうから手におえない。正直、お手上げ状態。

だけどしばらくはやり続けてみようと思う。
コツ、っていつかは何かしら見つかるもので、そうでなければ何ヶ国語も話せるバイリンガルがこんなにも世の中にいるはずはないし、やり続けていれば似た単語などになんらかの規則性なんかが見つかるのかもしれない。

というわけで、結局この本は英語の勉強にはちっとも役になっていないわけだ。
まあ、書いているのが英語圏の人であるから、英語の話せない日本人の悩みなどもともと加味して作られてはいないわけで。

私のようなおばかさんが、もし日本にあと20万人いるとしたら(いるのか?)
私が、なんらかのコツを見つけた折には書籍化すると需要があるのかもしれないな。
なんて、浅ましい考えを持つ暇があるならやるか。やるとするか。。。

なんて尻つぼみな文章。

ああ、まじで勉強つらい。

備忘録

2月
2017
14

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英語を覚えるコツは、まず「読めるようになる」に徹する。

一つの単語のもつ複数の意味もスペルも無視して、ひたすらその文章のもつロケーションをイメージしながら読めるようになる。

あとは、語呂合わせでなんとかしよう。

元祖癒し系

2月
2017
14

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「癒し系」ってことば、最近はめっきりきかなくなったけれど
少し前までは「もてる女」の代名詞としてつかわれていたように思う。
もったりとした口調、ゆったりとした動作、まどろむような笑顔といったステレオタイプなそのイメージはさておき、「癒し系」が忙しい現代人に求められる理由はよくわかる。

 

人は、居心地がいい人のそばにいるだけで「何かを与えられた」と感じられるからだ。

 

 

そして最近、私は癒し系の元祖が「赤ちゃんなのではないか?」ということに、思い至った。

特に、まだ「飲んで・出して・寝て」を繰り返しているだけの新生児から3ヵ月くらいまでの赤ちゃんはすごい。
赤ちゃんのそばにいると、どうしてこんなにも「与えられている」と、素直に思えるのか。

 

ふにゃふにゃの肌、ミルクのにおい、なにもかも小さく愛らしい姿。癒しの要素を全身にまとって放出させているのはもちろんのこと、

だけどその実、腹が空けば泣き、うんこすればまた泣き、満足すれば寝るという赤ちゃん。そんなことをもし大人がやってのけたとしたら、それは一転、傍若無人なふるまいににほかならない。
やっていることが一緒だとしても、できるのにやらないのと、今できることを精一杯やってそれなのでは、まったく意味合いが異なるからだ。

 

思うに「癒し系」として重要なのは、「邪念をもたないほど一生懸命にやる」ということなのではないか、と思う。
赤ちゃんの興味対象といえば、飲んで、出して、寝るばかり。それだけしかできないのだし、それだけに全身全霊をかけてやりきる。周囲のことなどおかまいなしに。
だけれどもそれこそが、癒しのオーラを放出する重要な要素なのだろうと思う。

そして、それに近い感覚を持つ大人にも、たまに出会うことがある。
私の場合、その多くが「明確な目標にわきめも振らず邁進するアーティスト」だ。
そして重要なのはアーティストということではなくって、
「わきめも振らず邁進する」こと。邪念をもたないほどに。

 

吸いもあまいも知ってしまうのが、悲しくも欠かせない大人という存在。だけど人は先入観をもたず、ありのままの自分をそのまま見てくれるフラットな相手に対して安心する生き物なのである。

何かに夢中になって、それこそ誰かと自分を比較する暇もないほどに集中しているときには、吸いもあまいも他人のネガティブな要素なども無意識のうちに排除しながら、邁進し続ける。
その邪念なきゾーンに入っている人というのは、他人からはある意味鈍感な人のように思われるかもしれない。

だけど、その姿ほど純粋なものはない。人はしばしば「少年のよう」などと形容したりするけれども、私は、少年というよりはむしろ、赤ちゃんに近づいているのではないかと思う。
私の知る「癒し系」の人々は、しばしば赤ちゃんのように、全身から「癒しのオーラ」を放出させているからだ。

そして人はやっぱり、そういう人のそばにいるのが好きだ。

 

だから私は今更だけど、癒し系になりたいと思う。そしてふと、そこは目指しちゃいかんだろう、、ということに気がつく。

私のすべきことは、「わきめも振らずに目標に向かって邁進すること」であり、癒し系はその過程で偶然与えられるラッキーな産物でしかないからだ。手段と目標を混同してはいけないんだった。

あぶないあぶない。

 

 

おじさんのかさ

2月
2017
10

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小学校1年生か2年生のときの国語の教科書にのっていて、
大好きだったのが、この「おじさんのかさ」というお話。

だけど、これ佐野洋子さんの絵本だったんですね。知らなかった。

おじさんはとても立派な傘を持っているんだけど、
どんなに雨が降っても傘をささないで、大事そうに抱えている。
子どもに「入れて」って言われてもきこえないふり。

だけど、子どもたちが楽しそうに雨に濡れる傘のうたを歌っていたから、
好奇心からとうとう傘をさしてみた。
そして、「これもいいもんだな」ということにはじめて気づいて、家に帰って濡れた傘をたびたびながめる。

子どもの頃は、「雨なのに傘をささないおじさん」ということが、すごくおもしろかった。子どもって、傘が好きなんですよね。傘で空が飛べるって本気で信じているし、傘ごしに見える景色は、いつもとはちょっとちがって見えた。

そして、子どもって大人に「教えてあげる」のが大好き。
だから、子どもの何気ない歌によっておじさんの心が変化して、傘をさすにいたるなんてストーリーはたまらない。

おじさんは今見るととてもキュートな人で、おじさんだけど子どもみたい。
いや、おじさんって案外子どもみたいなのかもしれないけれど、
そこには子どもみたいな好奇心がまだちゃんとあって、
だから、子どもはきっとこの絵本が好きなんだ。おじさんのことをきっと、仲間だと思っている。

そして、常識的であるはずと信じていた大人という人物が、大人らしくない行動をとっていることがたまらなくおかしいんだと思う。

久しぶりにこの絵本を開いて、
「おじさんって、なんで傘ささないんだっけ?」と、その事情ばかりを気にして読み進めていたことにハッとした。
ずいぶんつまんない大人になっちゃったなあ。と思った。

人の行動のすべてに意味があるもんだなんて、決めつけてしまうような大人になってしまったんだなあ。
意味不明な行動なんて、子どものもっとも得意とするところ。
そんな気持ちを忘れてしまっていた私は、子どもから一番遠い場所にいる人だ。

いつだって、親なんて子どもからは一番遠い場所にいる。
この絵本に出てくるおじさんのような部分を忘れたくない、と思った。

ぼやいてるだけ

2月
2017
10

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「どんな人になりたい?」と訊かれれば、「いい人になりたい」と
長いあいだこたえてきた。もっといえば、「いい人に見られたい」というのは本音だ。

私は自分が、善人ではないことを知っている。
ずいぶんひん曲がっている。

ついでに、陰気でネガティブな人間だってことも知っている。

だけども今のようなポジティブ大流行の時代にあって、
そんな人間はどこにも必要とされないような気がするから
つい、前向きを装ってきてしまった。

だけど、もうやめようと思う。

もう、いいやね。

 

 

 

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昨日、保育所の通園可否通知がとどいて
4月から次女が、無事に、長女と同じ保育園にかよえることになりました!

 

ほっとしました。
これでやっと、4月以降の仕事のおはなしを進めることができます。

 

長女が1歳のときには、認可園(公立保育所)はおろか、認定保育所まで落ちて一時保育を利用していたんです。
だけど、今年から長女の保育園では0歳児の一時保育がなくなることが決まっていて、
もし今回入れなかったらと思うと、絶望的な気持ちだったんです。

 

でも、そういう思いをしてきたから
私が入れたということは、あと50人以上の人が落ちたことを意味してもいるわけで、
単にうれしいばっかりでもなくて。

だいたい、0歳児から保育園に預けたいと思っている親って、
ほんとのところ、どのくらいいるんでしょう?

 

今回入園が決まった次女は4月で3ヵ月。
首も座らない赤ちゃんを保育所にあずけるなんて、本当は胸が痛いし、
できることなら1年はそばで成長を見守りたい。

でも、1歳の定員枠はたったの2名。最近はシングル家庭も多いので、
とてもその2枠に入れる見込みはなく、そこで今回は0歳児で入園させることにしたのです。
もちろん、福利厚生のないフリーランスで仕事をしていて、
1年もの休業ととることは難しいというのが最大の理由ではありますが。

 

それを見越して、出産自体を4月、5月に調整している親御さんもほんと多いんですよ。
4月や5月に産まれたのなら、最低でも次年度の4月までの1年間は、
親元で育てることができますから。

 

「保活」は、子供が欲しい親にとってのストッパー。
むしろ、二人目以降を考えている共働きの家庭にその傾向がつよいですよね。
なにをすれば、こういう問題は解消されていくんでしょうね。
私ができることは少ないけれど、今年は「子育て本」に携わりたいと強く思っていて、
そうした現状の発信もできたらいいですよねえ。

なんらかの形で、子育て中のお父さん、お母さんたちを応援していけないものでしょうかね。

 

お誕生日

2月
2017
08

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昨日は、37回目の誕生日でした。

休みをとってくれた夫に甘えて、同じく誕生日が近い姉と築地へ。
ハイネケン1瓶(350ml)、日本酒3合、モヒート1杯。。。

昨年の4月に次女の妊娠がわかって以来、ここまでお酒を呑んだのは久しぶり。

その間、娘は冷凍していた母乳とミルクで過ごしていたんだけど
ひさしぶりすぎて、なかなか体からアルコールが抜けていかない。

ということで、今も夜な夜なミルクをつくっていておもったんだけど、
母乳ってめちゃくちゃ楽だよね。
ミルク育児しているひとたちは、こうして夜な夜なミルクをつくっているのかとおもうと、頭が下がります。

思い出したのだけれど、母乳の味って、赤ちゃんが飽きないように最初は薄味に、後半は濃い味に変化するらしく、
栄養面でも、新生児期と9ヵ月頃ではずいぶん変わっているらしい。

母体の神秘。生命の不思議。

昔、小児外科の女性医師を取材させてもらったときに言っていたけれど、
タンパク質の分解酵素であるプロテアーゼって、
生まれたばかりの頃にはまだ分泌されていないのだとか。

で、「そろそろ離乳食がはじまりますよー」っとなる6ヵ月頃になるとちゃんと分泌されるようになって、食べたものを消化できるようになるというのだから、
ほんと、人体ってうまくできているよなあ。

ちなみに、その医師に「これまで手術したなかで、一番小さい赤ちゃんってどれくらいですか?」と訊ねたら、
「400g」

という返答が。

400gで生まれたことにもおどろきだけど、
そんな小さな赤ちゃんに開腹手術するなんて!と衝撃でした。

現代医学って、すごいなあ。

喧嘩

2月
2017
07

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誕生日なのに、なーんか夫とやな感じ。険悪。

あまりにも人の仕事を軽視する発言をするから
「稼ぎの少ないトランプめ!」

といったら、傷つけてしまった。

稼ぎの少ないって、トランプ未満(そらそーだろ)と言いたかっただけなのだけど、

男のひとってそこんとこナイーブだからね。

気をつけよう。

飛ぶ教室

2月
2017
06

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時間があるので、名作読み直し月間。

これまで意識してこなかったけど、「訳者」によって、同じ本でもまったくちがった世界観を持つのだなあ。読みくらべてみよう。

かんせい
陥穽
 おとしあな。比喩的に、人をおとしいれるはかりごと。
  1.  「―にはまる」

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八本脚の蝶

 

まるで、言葉のお菓子箱のような書籍です。
あちこちの引き出しに入れておいて、たまに猛烈につまみたくなる。

だけど甘すぎることはなく、著者の世界観の延長線上には、椎名林檎さんの歌があるような気がしました。

二階堂奥歯さんは、2003年4月に自殺したそうです。
生前は出版社の編集者でした。

この書籍は死後、彼女のブログをもとに制作されたのだそうです。
ほんの少しつまむだけでも、彼女がどれだけ非凡で、未来に可能性を秘めているかが伝わってきて、惜しい。

 

言葉の力を、信じられなくなったときに
たびたび再読しています。