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育児本・乱読

12月
2016
13

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最近の乱読

12月
2016
12

posted by on 読んだ本と映画とか

産休中につき、あらゆる書籍を乱読中につき。備忘録として。

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映画「ゆれる」を初めて観たとき、自分が思い描いていた「こんな映画があったらいいのに」というものがそのまま具現化されていることにすごくおどろいたのを覚えている。そしてそれを撮影した人が、自分とそこまで年の変わらない女性であることを知り、二度おどろいた。

 

だって、きれいなんだもん。

 

映画監督って、もっと眉間にシワの寄ったおじさんという先入観、あるよね(笑)。

 

「永い言い訳」は、そんな西川美和監督の頭の中を少しでも辿ろうと、映画を観る前に原作を読み、さらには今作のさまざまなインタビューを読んでから挑むことにした。今作で初めて西川美和監督が先に小説を書き、そのあとで映画を撮ったと聞き、知っていたからだ。
初めて読んだ西川美和監督の小説には、映画からもひしひしと伝わって来る文学性がよりくっきりとした形でそこにあって、印刷された「ことば」の一つひとつがそこにあるべきものであることを確信しているかのように、アイデンティティを持って存在していた。美しい文章はたくさんあるけれど、こんなにも「ことば」が魚のように鮮度よくはじけている文章に出会ったことはそうないように思えた。うそじゃなく、単語が立ち上がって踊って見えた。

 

原作を読んでから観る映画はたくさんあるけど、原作から監督が書いている映画を観る機会はそうあるものではない。
映画の冒頭はまるで、小説家 西川美和と、映画監督 西川美和の頭の中を行ったり来たりしているかのように錯覚することができ、西川ファンとしてはうれしい。

特に冒頭は、生意気にも「ああ、映画だと尺が短いからここを削るわけね」みたいに斜に構えて観ていたのだけど、でも次第に、小説のように主人公の気持ちを「語る」ことができない映画という媒体だけに、より繊細に、計算されてことばや動作や構図や音楽が使われていることに釘付けになった。そこにはひとつの画面から濃密な「伝えるべきこと」が溢れていた。

 

はらはらする場面もあった。
最初の方で、陽一が事故を起こした会社の社員に向かってマンゴーを投げつけるシーンなんて、小説読んでなければ「なぜ、マンゴー!!(ゴリラかよ)」と思いそうなものだけど(それは謝罪としてバス会社が遺族に贈ったフルーツ盛りの一部だった)、そこの説明なんて一切しないという潔さ。たぶん、西川美和監督は観客の観る力を信じているんだろうなあ。

 

彼女の作品を観ると、恐れ多くも嫉妬してしまう。
映画だけならまだしも、小説でもこんなものを残されてしまっては、私は一体文字の世界で何がしたいのだろうと思わずにはいられず小さくなってしまう。

そして、エンドロールで「原作・脚本・監督 西川美和」という文字が最後に流れるのを見ながら、軽く絶望してしまう。

 

だけど、書くよ。

西川美和監督は自分のことを決して「小説家」とは名乗らない。小説家であるとは思っていないと言っていたから。だったら、文字の世界だけでできることだって、まだまだ残されているのではないかと思う。

 

だけどね。ああ、圧巻。

 

 

 

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昔、まだ小さかった頃は、
散歩にいくと、ポケットいっぱいに「無駄なもの」を入れてもち帰って
それを工夫して、へんてこな造形物を作ったりしていた。

それ自体にはなんにも意味がないのだけど、そのプロセスがすごくたのしかった。

いまは、もう「無駄なもの」をあつめて「意味のない」ようなものをつくることはしなくなった。
そのかわりあつめるようになったのは、「すぐ役に立つもの」ばかり。

たしかに、役に立つものには「意味」があるんだけど、
「たのしい」が持続する時間は、極端に短くなってしまったようにおもう。

すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなるもの、とおしえてくれたのは
だれだったろう?

もうすぐ4歳になる娘をみていて、
わたしは、たまにものすごく羨しくなることがある。

それはきっと、彼女がとても「豊か」だからなのだとおもう。

「豊かさ」において、
わたしはまだまだ彼女にかなわない。

大人になるほど、こんなにも未熟。

posted by on ライターの仕事

書籍って、完成までにそれなりの時間がかかるものだし
だからこそ、短スパンで記事を仕上げる雑誌とは求められるものもちがってくるのだけど、
それだけに、リスクもある。

たとえば、昨年からすすんでいた書籍の企画があって、
そのために、10冊以上の書籍をよみ、自分なりに企画を練っていた。

それが、先月になって話ごと流れてしまった。

すでに、「モード」に入っていただけに
どうしようもないことだとはおもいつつ、その間の時間というものの価値を考えると泣きたくなる。

もちろん、10冊分の知識は健在なわけだし、「知識は積み上げだ!」という人もいるのかもしれないけれど、
フリーライターって、時は金なりを体現して仕事にしているわけで・・・。

しかも、こういうことが最近つづいているのだから困りもので
そうなってくると、ちょっといろいろと(付き合い方とか)考えざるを得なくなるなあ。

そんなに、お金にがめついライターではないと自認していて
けっこう安価の案件でも、興味があればくらいついてやっているのだけど
やっぱり、これではモチベーションが維持できないかも。

むむむむ。

眠れないとき

4月
2016
25

posted by on ブログ

眠れない夜は、読書のチャンス。
とおもってかえって浮き足立つ方なのだけど、

翌日の朝にめちゃくちゃ集中して挑まなければならない取材が入っていたりすると
眠れない夜は、とたんに恐怖になる。

そこで、けっこう前からやっている自分なりの「睡眠導入法」があって、
ちょっとおすすめなので、ここでご紹介させてください。

その方法というのは、ずばり「寝たふり」。
ふつうの「寝たふり」っていうのは、他人に対してやるものだとおもうんだけど、
ここでいう「寝たふり」は、自分に対してやるもの。

ようは、自分の脳をだますんですね。

まるで寝ているときのような寝息をしばらくの間してみると
脳が、「あ、寝るのね。はいはい、じゃあ寝ることにしますか」という感じで
いつのまにか寝るモードスイッチをONにしてくれるんですよ。

ちなみに、この方法は子どもを寝かしつけるときにもけっこう使えて
よく、まだ子どもが0〜1歳くらいの頃に経験したのだけど、
「たのむから寝てくれ(仕事がおわらんのだよ)」という気持ちであせりながら寝かしつけると
ほんと、子どもってものすごい確率で寝てくれないんですよね。

でもそれって、たぶん、親のあせっている気持ちが呼吸を浅くしているからなんです。

ということで、赤ちゃんに眠って欲しくば「わたしゃ寝るから、あんたも寝なさい」と腹を決めたようにみせかける必要があって、
そこでも「寝たふり」はすごく有効なのです。

必要のない人にはまったく必要のない情報だとおもうけど、
眠れない夜があったら、ふ、とこのことを思い出して、
羊を数える前に、一度お試しあれ。

posted by on ブログ

「人は食べたものでできている」とはよく言われることだけど、
では、「人の顔は、たべたものに似てくる」ときくと、みんなはどうおもうんだろう。

実は、人の顔というのはその人が食べたものに似てくるんだということを
わたしは密かに確信している。
肉屋さんは「肉」っぽい顔や体つきをしているし(しかも牛・豚・鶏で変わる)
魚屋さんは、やっぱり「魚」ぽい顔をしている。
八百屋さんは八百屋さんらしい顔つきがよくみるとあるような気がするし
パティシエは、パティシエっぽい顔が、やっぱりある。

それとか、マクロビを長く厳格につづけている人には
肌が浅黒くて、髪がちょっとパサパサとして筋張った体つきの人が多い。(玄米のようなごぼうのような?)

でも逆にローフードを長く厳格につづけている人には、
日本人とはおもえないほど、プリンプリンのカリフォルニアガールのような
迫力のある体つきの人が多いような・・・。(ローフーディストの友人が言うには、最初はやせるのに、つづけているうちにそうなってくるとか)

そして、それは性格にまで及んで、

マクロビの人にはががががーっとした攻撃的な人が多いし
ローフードの人には、ふわふわとした地に足のつかないつかみどころのないような人が多い。

そんなことで人をカテゴライズするな! とおこられてしまうかもしれないけど、
ちょっと自分の周りを見渡してみると、あれ?って気づくことってけっこうある。

さいきん、わたしは医療系ばかりの取材をしているせいか
「看護師さんっぽいね」と、よく言われるようになった。

「食べ物じゃないじゃん!」と突っ込まれてしまいそうだけど、
ライティングしながら、自分を限りなく看護師さんの気持ちになるよう意識しているのだから、やっぱりなにかあるんだろうとおもう。

やっぱりこれって、イメージなのかな?と。

よく食べるものは、それだけイメージとして鮮明に残っているだろうし、
それが仕事であれば、なおさら。

そう考えると、より良いイメージを持ち続けること、
そして、どんな環境に身をおくべきかというのが、ものすごーく、
食べたものと同じくらい大切だよな〜と、改めておもうのです。

とりとめがないことを書く、という趣旨にふさわしい記事になったね!

posted by on 読んだ本と映画とか

まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す盛岡にある書店の店長さん、田口幹人さんの本
「まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す」を読了。

正直、なめていました。ごめんなさい。
本屋さんがここまで心血をそそぎ込んで本を売ってくださっていたなんて想像することすらできていなかったこれまでの私が、心底恥ずかしい。

そして同時に、出版不況がさけばれる現代にあって、
「希望」のようなものを手渡されたような気にもなりました。

それは、東日本大震災のあと、まだライフラインも整わない中で被災した人々が求めたのは「本」だった。という事実。

それを知って、ある小説家さんが「私は世間の人々のように、人が絶対に必要とするものを提供していないことに、どこか後ろめたさを感じていた」
という言葉をおもいだし、

なんだか、その方の背中をバンバン叩きながら「そんなことなかったってよ! 」と、
ビール片手に乾杯したくなりました。
本って、偉大。そして田口さんのような書店員さんは、本物だとおもった。

この本のブックライターは、上坂徹さん。
私が、本に携わるお仕事ができるようになったのはこの方のおかげです。

ぜひ!

最初の読者

3月
2016
13

posted by on 読んだ本と映画とか

箱庭図書館 (集英社文庫)

乙一の「箱庭図書館」では、

階段から転げ落ちてもなお読みかけの本の間にはさんだ指をはなさないという、
ちょっと心配になるくらい「活字中毒」の、乙一の姉(という設定であり、実在の人物ではないらしい)がでてくる。

乙一は、姉とこんな会話を交わしている。

姉 「たっちゃんの小説おもしろいよ。(省略)どうやったら、ああいうの、書けるの?」
乙一「読者を想定するんだ。あとがきに書いた。H先生みたいのを」
姉 「頭のなかに読者がいるの?」
乙一「読者が住み着いている。学校ぎらいの少年が」

その少年とは、幼いころの乙一のことだ。
そして乙一はこう続けている。

なにか文章を書くと、頭のなかでその少年に読んでもらって反応をたしかめている。せめて、その子をうらぎるようなものだけは書かないようにしようとおもっていた。

どこかで、私はおなじようなフレーズをきいたような気がしていた。
そして、それが漫画家 浦沢直樹さんであることを思いだした。
浦沢さんも、かつてNHKの番組「漫勉」のなかで

「浦沢少年を裏切るようなものだけはつくれないっておもっているんだ」
というようなことをおっしゃっていた。

自分のなかに、「絶対的な読者」を持つということ。

それは、作品のクオリティを維持するモチベーションとしてはもちろん、
作品そのものを「強くする」んだろうとおもう。

だけど、それが「かつての自分」であるというのは、
どういう感覚なのだろうか、凡庸なわたしには、ちょっと想像がつかない。

ライターの私は、いつも書いている記事によって読者がかわるし、
依頼主のもとめるお客さんを想像して書いている。
だけどきっと、それは乙一や浦沢さんだってもちろんそうなのだろうとおもう。

実際、この本のあとがきには、

僕は小説のアイデアがなかなかおもいつかない人間なのです。だからアイデアを読者に募ってみましょう、そうしたら仕事をします、小説かけます、という話を編集者にしたところ、この企画がスタートしたというわけです。
(省略)
ボツ原稿を送ってもらう、という企画の性質上、投稿者の大半が作家志望者なのではないかとも考えていたんです。それなら、こういう題名(「第1章の小説家の作り方」のこと)で、こういう内容だったら、素通りせずに注目してもらえるんじゃないかという期待がありました。

と書いてあって、むしろ強烈に読者のイメージをもっていることがわかります。

だけどきっと、乙一や浦沢さんには、さらにそうした「読者をイメージして書いている自分」のことを見ている第三の俯瞰者がいて、それが「乙一少年」や「浦沢少年」のことなんだろうとおもうのです。

すごい人というのはどんな仕事の人でも、
みんな、そうした俯瞰する目をいくつも持っているのだと、
以前、このサイト内のインタビューに協力してくれた紙芝居師のヤムちゃんがおしえてくれました。

いつかは、わたしも・・・。
そこにたどり着くまでの道筋なんてまったく見えないけれど、
まだ見ぬ景色に焦がれて、悶絶。

2016年のお仕事

2月
2016
27

posted by on ライターの仕事

2015年にお手伝いさせていただいた書籍が
順調に売れていて、3刷までいきました。

ありがたいことです。

今年は、前回のおてつだいさせていただいた著者さんのべつの本や、
はじめてのレシピ本などの機会もいただき、
いまのところ、4冊が確定しています。

完成は、もしかすると年をまたいでしまうかもしれませんが
また、発売されたらおしらせいたします。