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今年は、無口になろう。

なんでかというと、去年、ある人から「あなたは、もっとことばを大切にしたほうがいい」

と言われてしまったことがあって、

よくかんがえると、小さなころからほんとうによくしゃべる子で
ほんのりと好きだった男の子にサイン帳をお願いした高校生の卒業式には
「あなたの第一印象は、ステレオ」
とかいてあって、びっくりしたこともあったくらいで(笑)。

ことばを大切にしてこなかったから、
ことばに近づくことも
ことばと仲良くすることもできていなかったのではないかな。ライターのくせに。

いまおもえば、わたしが過去に出会ってきた大好きなアーティストさんとか
どうしても惹かれてしまう類のひとたちというのはみんな

じりじりと・・・という表現が正しいのかわからないけれど
うーん、ひりひりと、、、いや、それはこちらの感情だな。

そうだ、まるでことばが、感情の塊になってぽろりと口からこぼれてしまったかのように
話をする人が多かったとおもう。
それは、とても正しいことばのあり方のような気がする。

口を開いてもガラクタしかでてこないのなら
いっそ、だまってしまったほうがいい。

「ほんとう」だけで充分なんだ。
なにもとりつくろうことはない。
ことばで嘘はつけるけど、ことばはうそをつかない、たぶん。

ことばも道具も、使い手のきもちひとつなんだなあ。

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わざわざスクリーンでみなければ味わえない映画というのは、
こういう映画のことをいうのではないだろうか?

儚すぎて、1mmでも「現実」が入ってしまうと
とたんに現実にもどされてしまうようなものがたり。
もし、自宅のDVDで観ていたとしたら、ここまで前のめりになってみることはなかっただろうなあ。

その証拠に、鑑賞後、明るくなったと同時に目に入ってきたのは
前の席のおばさまのパンチパーマだったのだけど、
それはそれはすごいはやさで、現実の、日本の、おばさまの、パンチパーマに連れ戻され・・・。

物語の舞台は、1950年代のニューヨーク。

デパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)のもとに、
キャロル(ケイト・ブランシェット)が、4歳になる娘のクリスマスプレゼントを買いにやってきたところからはじまる。
二人はその後、恋に落ちるのだけれど、おもしろいのはその設定。

「あの時代にして同性愛を貫くなんて・・・」という以前に、
ルイーズには熱心にプロポーズしてくる恋人がいるし、テレーズにはそもそも夫も娘もいて、
そうした未来の「家族」、現在の「家族」が
結果として二人を恋愛にまで発展させるきっかけとなってしまうのだから。

そう考えると、もちろん純愛映画ではあるけど、
ある意味、女性が自立していくプロセスを追っているのかもしれない。

ミステリアスで魅力的なキャロルは、
あの時代の男性が求める「妻」の枠におさまるような女性ではなかったし、
だからといって、望まない生き方をつづけていけるほど、強くも鈍感でもなかった。
夫は彼女を愛していたし、仕事人間だけれどけっして悪い人ではない。
それでも、自分の気持ちをわかってもらえるのはあの時代だけに、「女性」しかいなかったのだ。

だから、たまたま求めたのは女性だった。

同性愛というのは、生まれながらにそれを求める人ばかりでなく、
環境によって生まれてくるところがあるのかもしれない。

映画.comによると、「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化したのだそうな。

ケイト・ブランシェットはもちろん
とにかく、ルーニー・マーラの存在感が作品のイニシアティブをにぎっていた
といっても過言ではないとおもう。

この映画を観るなら、映画館。
それだけは、言えるなあ。

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「とりとめのないこと、メモ」

言葉をつかう仕事をするなら、
ただひとつの、「ほんとう」をあらわす言葉を
「点」でさがさなければいけない、のだとおもった。

それは、和紙ににじむ薄墨のぼんやりとした点ではなく、
0.1mm以下のまっくろで輪郭のはっきりとした点。
だから、さがすのは簡単ではない。
ときには、和紙の色が黒かったりすることもあって、つらいし、精神をすりへらす作業だろうとおもう。

だけど、つくる側がそうやって、
くっきりとした、ただ一つ「これ」だという点を見つけだすことができたのなら、
読み手の心に、じんわりと広がる薄墨の一滴を落とすことができるかもしれない。

そのわずかな可能性を信じて、わたしは書いているのかもなあ。

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今でこそ本をつくるお仕事をさせていただいているのだけれど、
高校生までのわたしは、まるで読書が苦手だった。

それが今では、一冊の本を編集したりブックライティングしたりするのに、
12〜15冊は読まなくてはならなくなり、
それ以外にも読みたい小説、知りたい物語がいくつもでてきて、
だいたい、ひとつきに10冊以上の本を読むようになった。

そんな、わたしの変化を知った実家の母が、
先日、ぼそりと「あなたが昔本嫌いになったのは、わたしのせいかもしれないね」
と言った。

わたしには3歳つ年上の姉がいるのだけれど、

「小さいころは、おねえちゃんの年齢にあわせた絵本ばかり読んでいたから。
難しくて『つまらない』とごねるあんたを、わたしは叱ってばかりいたんだよねえ」

と。

飽きっぽい母のことだから、きっと、なんども読んだ本をまた読みきかせるのはめんどうだったのだとおもう。

たしかに、「読書の絶対数が足りていないよなあ」 という自覚がある。
漫画や映像にはとことんのめり込んだのに、
なぜ、ここまで活字に拒否反応がでるものかと、ふしぎにおもったこともある。

だけど、3歳になる娘の保育園の教育方針には、
「あえて、数字や文字はおしえないようにする」というものがあって、
それは、好奇心をためてためて、それが満ぱいになって知ったことというのは
短期間で見事マスターし、そのものに対する興味も長く失わないという理論からきているそうだ。

ひとの体も、飢餓状態になると
次に食べたものの栄養の吸収率がぐんとあがるらしいけれど、
それと、同じことなのじゃないかとおもう。

「情報飢餓」なんて、いまの世の中に生きていたら滅多に味わうことができない。
そりゃあすごい吸収力となるのだろうさ。

わたしの本嫌いも、そういうものだったのかもしれないな。
なまじ、当時から本を読みあさっていたら、
いまみたいに、「言葉とはなんぞや? 」なんてことには
まったく興味がわいていないのかもしれない。

人生なんて、まるで想定外。

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昔、といっても、10年くらい前のSNSが到来する少し前のことだけど、
ブログはもっと個人的なものだった。

いつからか、それがオフィシャルなものになって
SNSと絡まるうちにどんどん加速していって、

私も、いつのまにかお金をもらって文章を書くようになったりしたものだから、
すっかり、自分の本音や気持ちをひっそりと書く楽しみを失ってしまったようにおもう。
「ひっそりならば、日記のように勝手に一人で書き綴れよ」とおもわれるかもしれないけれど、
だけど、それは体重計にのることなくダイエットを続けることに似ているような気もして。

それで、こんなにも閲覧数の少ないブログでなら
そういうことをもう一度やってみても良いのではないかとおもいました。

それとも、ライターを名乗る以上は、
言葉は、だれかの役に立つものでなければいけないのかしら?

そういう意見をいただくまでは、ちょっとぼやっと文章をつづってみようとおもいます。

宜しくお願いします。

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そして、もっともっと昔になりますが(汗)
昨年の8月頃、青汁だけで25年以上過ごされている森美智代先生の

「断食の教科書」も発売中です。

こちらは、編集とブックライティングでお手伝いさせていただきました。

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もう、去年のことになりますが
12月に編集とブックライティングでお手伝いさせていただいた書籍が発売中です。

発売直後から、アマゾンの家庭教育カテゴリーでベストセラー書籍となり
うれしいかぎりです。

表紙のアロエベラのイラストなども担当しました。

 

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「日本が誇るべきすぐれた地方産品」を選定し、海外に広く伝えていく冊子、

「The Wonder 500〜story book〜」の、ライティングをおてつだいさせていただきました。

分厚いカタログが、粋な黒い風呂敷に包まれてわが家へやってきたので、おどろきました。

公式webサイトでも紹介されています。https://thewonder500.com/

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フリーライター 武末明子が、「この人、すごい!!」と、感じた方におねがいしてお送りしているインタビューシリーズ。

2回目となる今回は、懐かしくも新しいエンターテインメント「紙芝居」の世界に、革命をおこしているこの方におつきあいいただきました。

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No.2  プロ紙芝居師 ヤムちゃん

 

「紙芝居」ときくと、拍子木の音を合図に路地裏に子どもたちが集まり、木枠に入った「黄金バット」の紙芝居を、テンポよく、ときには情感たっぷりに紙芝居師がよみあげていく……。
そんなノスタルジックな情景が浮かんでくるのではないでしょうか。

しかし、プロ紙芝居師ヤムちゃんは、そうした従来の紙芝居のイメージを一変させます。

その口演をひと言でいうなら、「アクロバティック紙芝居ショー」。
演者の存在を全面に押し出し、紙芝居の中に生きる二次元のキャラクターを、現実の世界によみがえらせるのです。

これまでにないその斬新な紙芝居は、国境を超え、フランス、アメリカでも口演がおこなわれるまでに。

元お笑い芸人、今は紙芝居師という異色の経歴をもつヤムちゃんに、「紙芝居」の世界について、人に「おもしろい」と感じさせる極意などをうかがいました。

 

拍子木:カンカンカンカン!

 

―ヤムちゃんとはじめてお会いしたのは、私の姉の自宅でおこなわれた飲み会でした。プロ紙芝居師という馴染みのない職業、舞台に立つ人がもつ独特の空気、やさしい人柄が忘れられずに、今回はインタビューをお願いしてしまいました。

ヤムちゃん いえいえ、すごく光栄です(笑)。

 

―まず、紙芝居師という職業についてうかがいたいのですが、ヤムちゃんはいつも、どういう場所で、どのようなお客さまに向けて口演をされているのですか。

ヤムちゃん お客さんの年齢も場所も、本当にさまざまです。今日はショッピングセンターでお子さん向けに、明日は、福祉施設でご高齢の方に向けて、といった感じです。

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―年齢も場所も異なるお客さんの前で演じるなんて、すごく難しそうですね。

ヤムちゃん そうかもしれません。でも、ぼくはもともとお笑い芸人だったので、そういう環境には慣れているんです。台風のなか、外で漫才をしてお客さんを呼び込むような営業もありましたから(笑)。

ただ、大人と子どもでは口演の内容も振る舞いもまるで変わってきます。子どもむけの口演では、髪がもじゃもじゃでお腹がでているぼくの外見を活かして、はじめから笑える要素をもり込み子供たちの心を惹きつけるようにしています。

一方、ご高齢の方に向けた場合には、清潔感を意識しています。髪を束ねて和装にして、ストーリーも落語系のものをえらび、落語家や講談師のようなイメージで、落ちついた口演になります。

 

―ヤムちゃんが、お笑い芸人から紙芝居師になろうとおもったきっかけはどのようなものだったですか?

ヤムちゃん 「ブルックリン」というお笑い芸人のコンビで、2007年10月から放送されていた、TBSの「あらびき団(出演 東野幸治/藤井隆)」などに出演させていただきました。ほかの番組のオーディションでも面白がってはもらっていたのですが、毎週のように新たなネタを作り続けなければならないテレビの世界は厳しかった。

そんなとき、「野菜戦士 ぬかづけマン」として、食育の活動をしている先輩芸人 アップダウンさんに誘われ、「好き嫌いをしないで食べよう!」というテーマのヒーローショーを、幼稚園で演じる機会がありました。するとショーを観た子どもたちが、がんばって嫌いな食べ物を頬張る姿に、もう涙がでそうになって……。なんていい活動をしているんだろう!と思ったんです。

その経験から「紙芝居でなら、自分にもこういう活動ができるかもしれない!」と思ったのがきっかけでした。

 

―ヤムちゃんのような紙芝居師さんというのは、ほかにもたくさんおられるのですか?

ヤムちゃん 紙芝居師の一般募集が全国規模で行われた時期がありました。東京には、現役の声優さんやフリーアナウンサー、元アイドル、女子プロレスラーなど、芸能に長けている人たちが多く集まり、「これまでにない新しい紙芝居に挑戦しよう!」ということになりました。こうして、プロの紙芝居集団「渋谷画劇団」が旗揚げされたのです。

だから、立ち上げメンバーだけでもぼくを含めて20〜30人くらい。今はそれ以上います。

 

―ヤムちゃんが演じている紙芝居の特徴をおしえてください。

ヤムちゃん ぼくは、ヤムちゃんという紙芝居師と、紙芝居から飛び出してきたヒーロー、覆面レスラーの「ミナクルマスク」というキャラクターを演じ分けています。

ミナクルマスクはもともと、須田信太郎(ジミー須田)さんという漫画家の原作に出てくるキャラクターでした。渋谷画劇団の個性的なメンバーの中で、いかにして仕事をとっていくべきかに悩んでいた時期に、須田さんが画劇団に持ちこんできた紙芝居にピンときて、「演じさせてください!」とお願いしたのです。

それからです。紙芝居から現実の世界に飛び出してきたキャラクターとして、ミナクルマスクに扮して演じるようになりました。
ミナクルマスクは会場を走り回ったり、叫んだり、お客さんから応援や声援がもらえるように体をつかって働きかけたりと、好き放題(笑)。だけどストーリーは、哲学や道徳にあふれた心温まる内容になっています。

 

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―ヤムちゃんにとって、ミナクルマスクとの出会いは大きかったのですね。

ヤムちゃん ミナクルマスクを初めて演じたとき、不思議なことに、お客さんに向かって話している自分の姿をちがった角度からみている自分があらわれました。まるで、幽体離脱でもしているかのように。

それからは、「ここをこう演じたら盛り上がる」「今は動かない方がいい」ということが、瞬間的につかめるようになりました。
この感覚って、売れている芸人さんからきいていたお笑いの極意と同じなんです。すごい芸人さんというのは、そういう客観的な自分が、何人もいるのだそうです。

お笑い芸人時代のぼくは、「ベタなお笑いなんかやってたまるか」っていきがっていました。だから、自分のものにすることができなかった。
ミナクルマスクに出会って、自分に正直になれたから得られたのだとおもいます。

 

―その道を極めた人が持つ特殊技能ですよね。紙芝居を演じるために、ヤムちゃんはどのようなことを大切にされていますか?

ヤムちゃん ゲームセンターで子ども向けの紙芝居をおこなうときには、あえて「間」を調整して飽きさせないように工夫しています。でないと、紙芝居以外にも子ども心をくすぐるものはたくさんありますから。

 

―「間」の話、すごく興味深いです。

ヤムちゃん 「間」というのは、どんなシチュエーションでもその場の空気を大きく左右するものです。そういった点では、お笑いでも紙芝居でも基本的には同じです。

一般的にはお客さんの年齢層が低いと、「間」は詰めてテンポを速めていったほうが笑いはとりやすいと言われています。しかし、物語をよむとなると、またちがってくる。特に子供の場合はあえて変な「間」をとり、直後に顔で演技したりするのがうけるんです。あくまでも僕の場合ですが……(笑)。

難しいのは、「間」というのは習ってつかめるものではないということ。一人ひとり、まったく違う間が存在するのです。そして誰かの真似をすると、絶対に失敗してしまうものなのです。

 

―紙芝居師として、「間」に長けているとおもう方はおられますか?

ヤムちゃん プロの紙芝居師はすばらしい方ばかりですが、個人的に好きなのは、名古屋を中心に活動しているマーガレット一家の「たっちゃん」という紙芝居師の「間」です。
たっちゃんの「間」は心地よいリズムを生みだし、まるで映画を観ているかのような感覚になるのです。

「間」の演出ができている紙芝居師というのは、観客に、その人がまるで物語の中の住人であるかのように感じさせることができる。舞台に立つ人間としては、必要不可欠な技術です。
ただし、一朝一夕でつかめるものではないですよね。

 

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―9月には米国のアトランタで、英語の口演をされてきたのですよね。外国人のツボは、日本人とはまたちがいそうですね。

ヤムちゃん はっきりいって外国人のツボはわかりません(笑)。ただ、喜怒哀楽などの感情表現と顔芸は世界共通です。

あと、日本人は知らない演者に壁をつくりますが、外国人はおもしろければ笑い、つまらなければまったく反応しません。それは、ぼくにとってはけっこうやりやすかったです。

 

―今後のビジョンをおしえてください。

ヤムちゃん 紙芝居といえば、ヤムちゃんやミナクルマスクの名前があがるようになること。そして、エンターテインメントとしての紙芝居の価値を底上げしていくことです。

紙芝居はこれまで、だれにでもできる芸能だとおもわれボランティアが主流でした。ですが、今まさに、新たなエンターテインメントとして紙芝居の価値が見なおされているのです。

先日の海外口演ではイタリア人のお客さんから「紙芝居がこんなファンタスティックなものだとは知らなかった。てっきりよみきかせをするだけなのかとおもっていたよ」と、言われました。

ぼくらのやっている新しい紙芝居には、まだまだいろんな可能性があります。今後は新たな試みにもどんどん挑戦し、歌舞伎界に新風を巻き起こした故中村勘三郎さんのように、紙芝居の世界に新風を巻き起こしていきたい。そして、より多くのみなさんに、紙芝居の魅力を知っていただけるようにつとめていきたいとおもいます。

 

―ありがとうございました!

 

 

【紙芝居師 ヤムちゃん】
1979年生まれ。所属団体 株式会社漫画家学会 渋谷画劇団。
2002年からお笑いの芸人「ブルックリン」として吉本興業に所属し、7年間活動。その後、株式会社漫画家学会が主催する紙芝居師オーディションで、200倍という倍率を突破、プロの紙芝居師として活動をスタートする。現在は、国内外問わず日本の伝統芸である「紙芝居」を広めている。
webサイト:http://yam-chan.com/
アメブロ:http://ameblo.jp/yam1979/

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「〝とろさば〟を世界ブランドにする!」
熱い理念が、人の「心」をつかむ

「とろさば」というブランド魚を知っていますか?

「とろさば」とは、東北近海でとれる体重550kg、脂質21%以上の「さば」をさします。真さばの脂質が12%前後なので、いかに脂ののった魚かがわかりますよね。このブランド魚の名づけ親は、「株式会社 鯖や」代表の右田孝宣氏。

株式会社 鯖や 代表 右田 孝宣氏

株式会社 鯖や 代表 右田 孝宣氏

 

 

右田氏は2014年、全メニュー「とろさば」の鯖料理専門店「SABAR」を大阪にオープンしました。その後は、わずか1年半で京都、東京へと進出。今年はシンガポールへの出店も決まり、全10店舗を展開する予定です。

飲食業界に彗星のようにあらわれた「鯖や」。急成長の背景と、「とろさば」にかける右田氏の熱い〝おもい〟に迫りました。

うまくいっているのは、
徹底してマスコミ戦略をとってきたから

―お忙しいなか、閲覧数のほとんどないwebの取材におつきあいいただきありがとうございます。右田さんは、これまでたくさんの取材をうけていますよね。

右田氏 さっきも、テレビ局の取材をうけていました。ほとんどが「おまえ、なんでそんなに〝さば〟にこだわってんねん」という切り口ですね。

―「鯖や」は、マスコミ戦略にとても長けているとおもいます。

右田氏 素人に毛の生えたていどから飲食店をはじめて、うちがうまくいっているのは徹底してマスコミ戦略をとってきたからです。
東京初進出の恵比寿店では、開店して1ヶ月で113媒体のメディアにでました。広告換算費は8,800万円。のべ3億3,000万人の目に触れていることになります。

―メディアにとりあげられたいオーナーは多いです。取材が殺到するコツはあるんですか?

右田氏 やっぱり、尖った1つのコンセプトを徹底してやっていくことだとおもいます。「SABAR」は38メニュー、38席、オープン、クローズとも午前・午後 11時38分の「いい38(さば)タイム」。徹底して「38(さば)」なんです。また、さば寿司のデリバリー用バイク「サバイク」をつくったり、毎年3月8日には「サバ博士検定」をおこなったりと、話題づくりを怠りません

―ほんとうに徹底しています。でも1つに特化するのは、当たればいいですがそうでないときのリスクが大きくないですか?

右田氏 みなさん、リスクを分散しようといろいろなものに手をだすから、結果としてリスクを抱えるんです。中途半端が一番まずい。

味や店づくりは大切です。でも、それはみんながやっていること。たとえば、「イベリコ豚はどんぐりだから、うちは栗でそだてた豚をだしています」っていったら「えー?」ってなりますよね。
まずは、そうしたマスコミの一歩先をいく努力をすることだとおもいます。

ぼくらのゴールは
とろさばを世界ブランドにすること

―「鯖や」が「とろさば」一本にしぼったのも、そういう理由からなんですか?

右田氏 というより、ぼくらのゴールは飲食店を成功させてお金儲けをすることじゃない。「〝とろさば〟を世界ブランドにすること」なんです。

だから、どんなに繁昌しても国内は38店舗まで、海外は38カ国。飲食店は、さばを世界ブランドにするための「アンテナショップ」という位置づけなんです。
いまはあえて「在庫管理」も「売れすじ分析」もしないでやっていけるか試しているところです。とにかく、はやいうちにリスクを負いたいので。

―はやいうちにリスクを負えば、失敗してもおおきな痛手にはなりにくいですよね。だから2年間で10店舗をオープンさせることにしたわけですね。

右田氏 3店舗目で京都、4店舗目で東京進出なんてふつうはありえない(笑)。でも、人ってうまくいくとすぐ調子にのるでしょう?それで足もとをすくわれるんですよ。だったら、気合いが入っているうちに躓いたほうがいい。

「さば」と「嫁」がシンクロするから
ぼくは「さば」をいつまでも追っている

 ―疑問なのは、「それがどうして〝さば〟か?」ってことです。さばは大衆魚で、「栗をたべる豚」とはちがいます。

右田氏 ぼくが「とろさば一筋」になるまでには、紆余曲折を経ました。実はぼく、19歳まで大の魚嫌いだったんですよ。

―まさかの?!

右田氏 うちの母親が魚の、とくに生魚の〝くさみ〟をひきだす天才だったんです。でも19歳のとき、ひょんなことから魚屋に就職することになって、そこで知った生魚がおいしくてたまげました。

―ギャップが、より魚への好奇心へとつながりそうですね。

右田氏 そうなんです!それからは魚にはまってひたすら勉強しました。

―右田さんは、海外の寿司店ではたらいていた経験もあるとか。

右田氏 もともと貿易に興味があって、海外で働いてみたかったんです。たまたまオーストラリアにいけることになり、日本人が経営する寿司店で働きました。
そこの社長はすごいビジネスセンスの持ち主で、ノウハウを一から学ぶことができました。

―その社長の影響が、いまの経営手腕につながっているんですね。

右田氏 でも、すぐに活かされたわけではないんです。帰国後はほんと、散々でしたから。なにをやってもうまくいかず、当時は嫁のヒモ状態。
でも反骨精神だけは人一倍あって、「ぜったい10年以内に海外でビジネスをおこしてやる!」と決めていたんです。

―だから、「世界ブランドをつくるんだ!」と。

右田氏 そうです。その後は嫁と、シャッター街でちいさな居酒屋をはじめたんですが、それがおもいのほか盛況だったんです。ある日、店で人気だった「さば寿司」に目をつけた嫁が、「あなたの料理で1番おいしいのはさば寿司だから、これ1本で商売してみたら!」といいました。それも1度や2度じゃない、1年くらいかけてクロージングされて・・・。
「嫁がそこまでいうならやってみようかな?」とおもって、鯖寿司の販売店をはじめたんです。

―きっかけは、奥さんでしたか。

右田氏 はい。だから、ぼくの中ではいつも「嫁」と「さば」がシンクロするんです。嫁はいちばん苦しい時代を支えてくれた人ですから。「彼女のためになにができるか?」って考えるのと同じように、〝さば〟のことも考えています。だから、こんなにも「さば一筋」なんでしょうね。

理念に損得がないから、
人は「応援」したくなる

―その後は、販売店とともに飲食店もはじめられました。どうやって、多店舗展開の資金をあつめたんですか?

右田氏 「クラウドファンディング」の存在を知ったんですね。

―クラウドファンディングですか!

右田氏 「SABAR」のイメージはあったので、直感的に「鯖料理専門店」と「クラウドファンディング」があれば、「マスコミがくるな」とおもいました。そして一気に3店舗を立ち上げることにしたんです。

―はじめから3店舗とは大胆ですね。実際にやってみてどうでしたか?

右田氏 出店する場所も決まっていないなか、目標金額を3店舗3,500万円と掲げました。1店舗目が1,800万円、2店舗目は1,000万円、3店舗目は700万円に設定して。MS(ミュージックセキュリティー)で出資をつのると、すべて目標金額に達したんですね。それだけニーズがあったってことです。

―すごいことです。クラウドファンディングで飲食店ができてしまうなんて。

右田氏 クラウドファンディングにむいている飲食店って、「めちゃくちゃ料理で修行した人が、すごくリーズナブルな値段でたべてもらいたい」とか、ぼくらみたいに「〝とろさば〟一本で世界ブランドをつくる!」という、しっかりとした理念のある会社なんです。ビジネスはシンプルであればあるほど伝えやすいし、消費者にも伝わりやすい。損得でやっていないから、投資家は「応援」したくなるんです。
飲食業界には「右みて繁昌しているからやろう」って考えの人がすごく多い。でもそれでは難しいでしょうね。

―それでいうと、今後は「とろさば」もマネされるのではないですか?

右田氏 そうしたら、ぼくらがメーカーとしてとろさばを卸していきます。レシピもつけて。

―レシピまでつけるんですか?

右田氏 だって、しょうもないレシピで「とろさば」のブランド価値を下げられたくないですから。どうせマネするんだったら、良いサバをつかっておいしい料理を提供しなさいって。

―それでこそ「さば愛」というか・・・。「鯖や」をモデルに、クラウドファンディングで飲食店をはじめる人も増えそうですね。

右田氏 実はすでに次の手は打っているんです。大手町に「とろさば食堂」という定食屋スタイルの店を出したんですが、そこは日本初の「クラウドファンディングのCSRショップ」なんです。

日本初のCSRショップで
クラウドファンディングのすそ野を広げる

―CSRショップ。どんな方法で社会に貢献しようと?

右田氏 クラウドファンディングって、いまは入口の金額ばかりが注目されていますが、3万円が3万3,000円になって投資家に還元されているところはまったく知られていないんです。でも、それではマーケットは広がらない。
そこで投資価値を「見える化」しようと、投資家優待をつくりました。投資家の半数は関東在住者でしたから、「いつきてもらっても10%引き」にして。すると、またマスコミの注目度もたかまりますよね。

―なるほど。ネットと口座間のやりとりだけで完結していたクラウドファンディングが、アナログの実店舗に足をはこぶとなると、ぐっとクリアリティを帯びます。

右田氏 「とろさば食堂」は今後も、クラウドファンディングで立ち上げていきます。店長の顔写真や情熱をつたえるコメント、さば博士検定何級か、などもアップし、投資家が自宅ちかくの店舗に投資できるシステムをつくります。

とろさばの「養殖」に成功
世界に羽ばたく「総合商社」を目ざす

―すごくたのしみですね。ところで、「〝とろさば〟を世界ブランドにする」というビジョンはどう進めていくんですか?

右田氏 うちがシンガポールに出店できたのは、「ほんものの日本食を世界にひろめよう!」という意図で、クールジャパンが日本企業を誘致したからなんです。うちは、その16店舗に選ばれたんですね。
いま、アジアでは生で「さば」をたべる習慣はありません。でも、ぼくは「とろさば」をいちばんおいしい「刺身」でたべてほしいんです。だからJR西日本と組んで、アニサキスフリーの「さばの養殖」を行っていたんですよ。今年、ようやくそれが完成しました。

―アニサキスというと、生のサーモンや生のさばにいる寄生虫のことですよね?

右田氏 はい。人にも感染するので、国内でも「さば」はこれまでほとんど刺身では食べられてこなかった。

―でも「SABAR」ではすでに、天然の「とろさば」の刺身を提供しています。どうして「養殖」で勝負しようと?

右田氏 「養殖」は、天然資源の保護とか安全性から海外ではみなおされているんです。それに、天然魚のライバルは大勢いますが、養殖ならぼくらのオリジナルになる。
まずは、オリジナルの養殖魚を海外で広めて、ASEANに「サーモン、まぐろ、とろさば」といわせたいですね。そして、それを日本に逆輸入したいんです。

―壮大なビジョンです。でも、右田さんならできるような気がします。

右田氏 ありがとうございます!総合商社になって、とろさばを世界ブランドにするようがんばります。

―ありがとうございました。