Archive for the ‘読んだ本と映画とか’ Category

お誕生日

2月
2017
08

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昨日は、37回目の誕生日でした。

休みをとってくれた夫に甘えて、同じく誕生日が近い姉と築地へ。
ハイネケン1瓶(350ml)、日本酒3合、モヒート1杯。。。

昨年の4月に次女の妊娠がわかって以来、ここまでお酒を呑んだのは久しぶり。

その間、娘は冷凍していた母乳とミルクで過ごしていたんだけど
ひさしぶりすぎて、なかなか体からアルコールが抜けていかない。

ということで、今も夜な夜なミルクをつくっていておもったんだけど、
母乳ってめちゃくちゃ楽だよね。
ミルク育児しているひとたちは、こうして夜な夜なミルクをつくっているのかとおもうと、頭が下がります。

思い出したのだけれど、母乳の味って、赤ちゃんが飽きないように最初は薄味に、後半は濃い味に変化するらしく、
栄養面でも、新生児期と9ヵ月頃ではずいぶん変わっているらしい。

母体の神秘。生命の不思議。

昔、小児外科の女性医師を取材させてもらったときに言っていたけれど、
タンパク質の分解酵素であるプロテアーゼって、
生まれたばかりの頃にはまだ分泌されていないのだとか。

で、「そろそろ離乳食がはじまりますよー」っとなる6ヵ月頃になるとちゃんと分泌されるようになって、食べたものを消化できるようになるというのだから、
ほんと、人体ってうまくできているよなあ。

ちなみに、その医師に「これまで手術したなかで、一番小さい赤ちゃんってどれくらいですか?」と訊ねたら、
「400g」

という返答が。

400gで生まれたことにもおどろきだけど、
そんな小さな赤ちゃんに開腹手術するなんて!と衝撃でした。

現代医学って、すごいなあ。

飛ぶ教室

2月
2017
06

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時間があるので、名作読み直し月間。

これまで意識してこなかったけど、「訳者」によって、同じ本でもまったくちがった世界観を持つのだなあ。読みくらべてみよう。

かんせい
陥穽
 おとしあな。比喩的に、人をおとしいれるはかりごと。
  1.  「―にはまる」

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八本脚の蝶

 

まるで、言葉のお菓子箱のような書籍です。
あちこちの引き出しに入れておいて、たまに猛烈につまみたくなる。

だけど甘すぎることはなく、著者の世界観の延長線上には、椎名林檎さんの歌があるような気がしました。

二階堂奥歯さんは、2003年4月に自殺したそうです。
生前は出版社の編集者でした。

この書籍は死後、彼女のブログをもとに制作されたのだそうです。
ほんの少しつまむだけでも、彼女がどれだけ非凡で、未来に可能性を秘めているかが伝わってきて、惜しい。

 

言葉の力を、信じられなくなったときに
たびたび再読しています。

残酷な鏡

2月
2017
01

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スクリーンショット 2017-02-01 13.00.29

 

化粧鏡を買いました。

三面鏡、2倍・3倍鏡付き、LEDライト付きという、
それはそれはハイテクな鏡です。

だけどその鏡は、私にとって残酷きわまりないものでした。

どう残酷なのか?

これまでまったく見えていなかった、たるんだ毛穴、
ニキビ跡、うぶ毛、、肌ムラ、乾燥、ファンデーションのよれ、
カサつき、左右差、シワなんかが、

なんの遠慮もなく、私の目に真実をつきつけてきたのです。

 

 

実感としては、
ほとんど「これ、何年後の私?」
ってなかんじです。

 

いえいえ、「残念ながら、それがあなたの今です」と、
鏡は言いました。

 

絶句しました。
そして、私は鏡にたずねました。

 

「では、いつから私はこんな顔で外を歩いていたのかしら?」

鏡は言いました。

「私はあなたのところへやってきたばかりなのでわかりません。
ただ、昨日今日じゃないことだけは、たしかですよね」

 

ジーザス!!

 

 

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【ヒットメーカーに会ってみた!】黒川精一さん第2回「市場にない、売れる本」をつくるためにはどうすればいいか?

 

 

本日、校了!のカテゴリー「あう」で、
黒川精一さんインタビュー第2回目が更新されていました。

 

あー、待ちどおしかったぁ。

 

今回のテーマは、
「市場にない、売れる本」をつくるにはどうすればいいか?

 

この「市場にない」という点に、ピターッとはまる企画でヒットがでたとき、
編集力のすごさっていうのを、より多くのひとに感じてもらうことができるんじゃないでしょうか。
まさに、編集者の醍醐味的なポイントですよね。

 

 

第2回目は、「すぐに真似できない方法」と「すぐに真似できる方法」の両方が紹介されていました。

 

まず、残念ながら(私では)「すぐに真似できない方法」として紹介されていたのが、
自分の企画に類似した書籍がすでに市場に出回っていないかをチェックする手段、「パブライン」です。

 

パブラインというのは、紀伊国屋書店が提供するPOSデータを公表するシステムのことです。POSデータは「Point of Sales(ポイント・オブ・セールス)」の略で、「売上データ」のことなんですが、

各書店では、商品についているバーコードをスキャナーで読み取ると同時に、POSデータが伝わるようになっているんですね。
それを、出版社向けに公開しているのが「パブライン」です。
ただ、残念ながらパブラインは出版社向けのサービスなので、
一般人は利用できないようです。
紀伊国屋書店以外にもこうしたPOSデータの公開システムはあるようですが、やはりどれも書店向け。

なので、ちょっとフリーランスの私が活用するのは難しそうです。

 

ですが、今回も「すぐに真似できる方法」はありましたよ!

 

それが、「ありきたりな企画を、新鮮で魅力的な企画に変える方法」です。

 

黒川さんはその方法を、「商品を変えるか、お客さんを変えるか」の2つだとおっしゃっていました。

 

たとえば、「商品を変える」場合には、ありきたりな商品に意外なものと「組み合わせ」てみる。

 

インタビューでは「サンドウィッチ」を例に、
青空×サンドイッチ、寝る前×サンドイッチ、おせち×サンドイッチ、暴力×サンドイッチ、長寿×サンドイッチ、真夜中のサンドイッチ、トヨタのサンドイッチ、サンドイッチ・マネジメント……

みたいな組み合わせがあげられていました。昨今流行っている「健康麻雀」とかも、このタイプですよね。

 

そしてもう一つの、「お客さんを変える」というのは、
平たくいうと「別のくくりにしてあげる」こと。これによって、買ってくれるお客さんの層を広げる(変える)イメージです。

 

具体的には、先ほどの「サンドウィッチ」なら、
サンドウィッチは「時間がないとき」に食べることが多いから、時間の使い方に関心があるビジネスマン向けに『多忙な一流ビジネスパーソンのための 片手で食べられる食べもの』なんていう企画や、

「健康」をテーマに自分で食事をつくる気力がなくなってしまった中高年向けの企画を練るようなイメージ。

 

これ、脳内ブレストでもできるから
孤独なフリーランスでも、すぐに取り入れられる!またまたすっごい!

 

今回も、みちーっと密度の濃い内容に釘付けでした。

 

即実践です!

 

 

 

 

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[amazonjs asin=”B00IAQ7XMY” locale=”JP” title=”短歌の作り方、教えてください (角川ソフィア文庫)”]

 

やっばい本に、また出会ってしまった。

図書館の特設コーナーで発見したのだけど、
もう、これは買うしかないっしょレベル。

最近は、谷川俊太郎さんや糸井重里さん、本書の俵万智さんなど
私からすると、「言葉の神様」のような人たちの書籍を読み込んでいるのだけれど、
その、密度ったら。

 

少しでもあやかりたくて、短歌、ほんの少しだけ齧ってみることにしました。

本書は、独特な言葉の世界観を持つ一青 窈さんに、
俵 万智さんが、短歌を教えるという内容。

二人のメールの往来をそのまま掲載して構成されているため、
俵さんの指摘によって、型におさまったはずの一青さんワールドが
より広がりを持っていくのが不思議。

この本を手にしてから、
私は、5・7・5・7・7で切り取られた世界を意識するようになり、

そうすると、ふしぎなことに視界に入ってくるすべての風景に、
まるで額縁がついたかのような錯覚が起きるのです。

短歌は、そこにキャプションをつけていくようなものなのかもしれない。

 

一青さんのように、もっと自由な言葉の使い手になりたい。
俵さんのような、密度の濃い言葉を紡いで生きていきたい。

 

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[amazonjs asin=”4415025137″ locale=”JP” title=”俳句の花図鑑”]

 

「椿って、ずいぶん長く、冬の間中咲いている花なんだなあ」
なんておもっていたのですが、

先日、「俳句の花図鑑」という書籍をながめていて知りました。
山茶花(さざんか)って、
椿とほんとうによく似ているんですね。
それもそのはずで、江戸時代以前の古い文献に山茶花の名はなく、
椿と山茶花は、厳密には区別されていなかったというのです。

 

 

改めて、二つの花のちがいを調べてみると、
割と簡単に、NAVERとかにも出ていました。

 

ひとつは、花を咲かせる時期。

 

山茶花が、秋から冬にかけて花を咲かせるのに対し
椿は、初春。

年の半分くらい椿が咲いているように思えていたのは、
このためだったようです。

 

あとは、花びらの枚数がちがったり、

葉っぱが、椿はほとんど淵にぎざぎざがないのに対し、
山茶花の葉は、淵がギザギザとしてとがっていたりと、
細かく見ていくと
二つの花にはいろいろと違いがあるらしい。
だけど、とりわけ私が心惹かれたのは、
花の「散り方」。

 

山茶花は、一枚一枚の花びらがバラバラになって地面に散っていくのだけれど、
椿は、花の根元からぽとりと落ちて、地面でもまた花を咲かせる。

 

咲いているときには同じように見えていた花の「散り際」に、
ここまではっきりとした違いがあるなんて。

 

なんと、耽美な。

 

最近は、私の周りで両親の姉兄たちがつぎつぎと病に倒れており、
つくづく、人の生き方と死に方というものは
1本の線でつながっているのだと、感じています。

 

そう考えると、
全盛期の椿と山茶花は、変わらずたいそううつくしいのだけれど、
散っても尚、地面に花を咲かせ続ける椿と

「我が生涯に一片の悔いなし!by ラオウ」とばかりに、
思い切って散る山茶花が辿ってきたそれまでの咲き乱れ方が同じであるはずはなく、

 

私は、もっと丁寧に、慎重に二つの花の「咲き方」を
感じて、見つめていくべきだったのだと、思いました。

 

書籍より抜粋。

 

・山茶花の こぼれつぐなり 夜も見ゆ 加藤楸邨(かとう しゅうそん)
・月夜にて 山茶花が散る 止めどなし(細見 綾子)

 

 

 

 

 

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[amazonjs asin=”B00KS3F45U” locale=”JP” title=”アートサーカス サーカスを越えた魔力 (光文社新書)”]

むかしから、人が何ひとつ媒介することなく、
生身の肉体だけをつかって芸術へと昇華させていくプロセスや、そこから生み出される芸術に
つよくつよく心惹かれるのです。

たとえばそれは、シンクロナイズドスイミングのビルジニー・デデューが演じたマリア・カラスであったり、シルビィ・ギエムが踊るボレロだったりするのですが、

私は、初めてシルク・ドゥ・ソレイユを観たときにも、それらとおなじような吸引力を感じました。

シルク・ドゥ・ソレイユを最初に観たのは、原宿の仮設テントでおこなわれた「コルテオ」でした。
道化師をテーマにしたコルテオは、小さな人や大きな人、太った人など
とてもアクロバティックなサーカスをおこなうために集められたとはおもえないようなキャストが勢ぞろいしていて、でも、そういえばこの多様性こそが、昔ながらのサーカスの醍醐味だったのではないかと、改めて気づかされました。

私は、「動物」によって演出するサーカスがあまり好みではないので
人間だけで魅せるそのスタイルにはおおいに賛同しましたし、
この書籍のタイトルになっている
サーカスのアクロバティックが、「アート」となり得るまでに研ぎ澄まされて演じられていることにも震えるほど感動しました。

だけど、シルク・ドゥ・ソレイユのすごさは、もしかするともっと別の部分に隠されているのかもしれない。
本書には、そうした「ちょっとちがったシルク・ドゥ・ソレイユの素晴らしさ」が
語られているんですよね。
そしてそのすごさを、私は、決してサーカスから踏み外れることのない、そのバランス感覚にあるのではないか、とおもいました。

少し話はそれてしまいますが、

忘れられない演目に、5年契約で東京ディズニーランドの敷地内の一角でおこなわれていた、「Z (ゼット)」があります。

開始からすでに数年が経っていて平日の部だったこともあり、
その日の客席には、ちらほら空席も見られました。
だけどその日は、開演前から観客とキャストが同じ濃度の空気を吸っているような、不思議な一体感がありました。
前から2列目の席に恵まれた私は、
空中ブランコでキャストが滑り止めとして両手にはたいた白い粉が顔に舞ってくるという、
ちょっとキャスト側に立っているかのような錯覚も味わうことができたのです。

演者の汗が、それも演出なのではないかと思わせるほど
光に弾けて、ステージ上でほとばしっていました。

すべての演目が終わっても、観客は誰一人として立ち上がることがなく
拍手を送り続けていました。

キャストによる扇動もいっさいないのに、どこからともなくウェーブが起こり、
私もごく自然にその波に乗って最後はスタンディングオベーション。
完全にオーディエンスとキャストが一体化しているという、未知の体験でした。

その後も、あの感覚をもう一度味わえればとおもい再訪したのですが、
やはり、それは叶いませんでした。
きっと、キャストやオーディエンスがあのときとまったく同じだったとしても無理でしょう。
あれはあの場だけの、時間と空間だけが作り出す奇跡のような貴重なひと時だったのだと思います。

その後、シルク・ドゥ・ソレイユは広く世間に浸透していきました。
それにより、エンターテインメントは以前よりずいぶん急速に進化していったように思います。

それは、歌手や芸能人のコンサートなどにも強く影響しました。

シルク・ドゥ・ソレイユの衝撃は、観客の目を肥やし
エンターテインメントそのもののハードルを上げてしまったのかもしれません。
ですが、書籍にも書かれていることですが、
シルク・ドゥ・ソレイユは、キャストにスターを作らないというスタンスをとっているのだそうです。

なぜか。

あくまでも推測に過ぎませんが、
スターの存在は、サーカスがサーカスたる根底を変えてしまうのではないでしょうか。

サーカスは、大人から子供まで楽しめる大衆のためのものでなくてはならない。
どんなに高度なアクロバティックで観客を釘付けにしても、
アートと呼ばれるまでに演目を昇華させることができたとしても、
やはりそこは、大衆芸術なんですよね。

それこそが、シンクロやバレエとはちがうサーカスの魅力でもあると思うのです。
その本筋を常にぶれることなく持ち続けているからこそ、
シルク・ドゥ・ソレイユはアートサーカスという新ジャンルのパイオニアとなり得たし、
エンターテインメントの未来をを牽引することもできたのだと。

とりとめもなく、
そんなことを強く感じたのでした。

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