Archive for the ‘ブログ’ Category

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毎日の記録をつけよう。備忘録として。

でないと、ほとんどの時間を自宅で赤ん坊と過ごしているので
あまりに幸せすぎて、ものごとを意識的にとらえることができなくなってしまいそうだから。

皆川 明×糸井重里 http://www.1101.com/mina2015/
本当なら今すぐ読みたい記事。

だけど、ののこ(娘 1ヵ月)が泣いて起きてしまったし
もう、4歳児である長女 のお迎えがあるから、忘れてしまいそう。

いつ、読めるかな?みんなが寝静まった夜?

妊娠中に読もうとおもって買っておいた書籍は
もうほとんど読み終わってしまったので、
谷川俊太郎さんの「ひとり暮らし」を再読。

一度目にはきづかなかった
【由無し(よしなし)】という美しい言葉に出会ったのだけど、
よく考えると、これまた昨年再読した「徒然草」の有名な冒頭のことばだったのか。

こういうの、ぱぱっと結びつけられるくらいの知識がほしい。

以下引用。

徒然なるままに、日ぐらし、
(なんとなく一日中)

硯に向かいて、
(硯に向かって)

心にうつりゆくよしなし事
(心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを)

そこはかとなく書きつくれば、
(あてもなく書きつけていると)

あやしうこそ物狂おしけれ
(まるでなにかに憑かれたように筆が止まらない)

そこで調べてみると、
この【よしなし事】という意味が、思った以上にいろいろな意味をもっていました。

①理由がない。根拠がない。
②方法がない。手段がない。
③つまらない。とりとめがない。くだらない。無意味だ。
④関係がない。縁がない。

とりとめがないことなどつまらないし、くだらない。第一根拠がないではないか?
そんなことは無意味だ。

なんて、よしなし事だけで一文が完成してしまえるほど
含蓄のある。

いつか、使おう。

 

posted by on ブログ, 読んだ本と映画とか

昔、まだ小さかった頃は、
散歩にいくと、ポケットいっぱいに「無駄なもの」を入れてもち帰って
それを工夫して、へんてこな造形物を作ったりしていた。

それ自体にはなんにも意味がないのだけど、そのプロセスがすごくたのしかった。

いまは、もう「無駄なもの」をあつめて「意味のない」ようなものをつくることはしなくなった。
そのかわりあつめるようになったのは、「すぐ役に立つもの」ばかり。

たしかに、役に立つものには「意味」があるんだけど、
「たのしい」が持続する時間は、極端に短くなってしまったようにおもう。

すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなるもの、とおしえてくれたのは
だれだったろう?

もうすぐ4歳になる娘をみていて、
わたしは、たまにものすごく羨しくなることがある。

それはきっと、彼女がとても「豊か」だからなのだとおもう。

「豊かさ」において、
わたしはまだまだ彼女にかなわない。

大人になるほど、こんなにも未熟。

眠れないとき

4月
2016
25

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眠れない夜は、読書のチャンス。
とおもってかえって浮き足立つ方なのだけど、

翌日の朝にめちゃくちゃ集中して挑まなければならない取材が入っていたりすると
眠れない夜は、とたんに恐怖になる。

そこで、けっこう前からやっている自分なりの「睡眠導入法」があって、
ちょっとおすすめなので、ここでご紹介させてください。

その方法というのは、ずばり「寝たふり」。
ふつうの「寝たふり」っていうのは、他人に対してやるものだとおもうんだけど、
ここでいう「寝たふり」は、自分に対してやるもの。

ようは、自分の脳をだますんですね。

まるで寝ているときのような寝息をしばらくの間してみると
脳が、「あ、寝るのね。はいはい、じゃあ寝ることにしますか」という感じで
いつのまにか寝るモードスイッチをONにしてくれるんですよ。

ちなみに、この方法は子どもを寝かしつけるときにもけっこう使えて
よく、まだ子どもが0〜1歳くらいの頃に経験したのだけど、
「たのむから寝てくれ(仕事がおわらんのだよ)」という気持ちであせりながら寝かしつけると
ほんと、子どもってものすごい確率で寝てくれないんですよね。

でもそれって、たぶん、親のあせっている気持ちが呼吸を浅くしているからなんです。

ということで、赤ちゃんに眠って欲しくば「わたしゃ寝るから、あんたも寝なさい」と腹を決めたようにみせかける必要があって、
そこでも「寝たふり」はすごく有効なのです。

必要のない人にはまったく必要のない情報だとおもうけど、
眠れない夜があったら、ふ、とこのことを思い出して、
羊を数える前に、一度お試しあれ。

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「人は食べたものでできている」とはよく言われることだけど、
では、「人の顔は、たべたものに似てくる」ときくと、みんなはどうおもうんだろう。

実は、人の顔というのはその人が食べたものに似てくるんだということを
わたしは密かに確信している。
肉屋さんは「肉」っぽい顔や体つきをしているし(しかも牛・豚・鶏で変わる)
魚屋さんは、やっぱり「魚」ぽい顔をしている。
八百屋さんは八百屋さんらしい顔つきがよくみるとあるような気がするし
パティシエは、パティシエっぽい顔が、やっぱりある。

それとか、マクロビを長く厳格につづけている人には
肌が浅黒くて、髪がちょっとパサパサとして筋張った体つきの人が多い。(玄米のようなごぼうのような?)

でも逆にローフードを長く厳格につづけている人には、
日本人とはおもえないほど、プリンプリンのカリフォルニアガールのような
迫力のある体つきの人が多いような・・・。(ローフーディストの友人が言うには、最初はやせるのに、つづけているうちにそうなってくるとか)

そして、それは性格にまで及んで、

マクロビの人にはががががーっとした攻撃的な人が多いし
ローフードの人には、ふわふわとした地に足のつかないつかみどころのないような人が多い。

そんなことで人をカテゴライズするな! とおこられてしまうかもしれないけど、
ちょっと自分の周りを見渡してみると、あれ?って気づくことってけっこうある。

さいきん、わたしは医療系ばかりの取材をしているせいか
「看護師さんっぽいね」と、よく言われるようになった。

「食べ物じゃないじゃん!」と突っ込まれてしまいそうだけど、
ライティングしながら、自分を限りなく看護師さんの気持ちになるよう意識しているのだから、やっぱりなにかあるんだろうとおもう。

やっぱりこれって、イメージなのかな?と。

よく食べるものは、それだけイメージとして鮮明に残っているだろうし、
それが仕事であれば、なおさら。

そう考えると、より良いイメージを持ち続けること、
そして、どんな環境に身をおくべきかというのが、ものすごーく、
食べたものと同じくらい大切だよな〜と、改めておもうのです。

とりとめがないことを書く、という趣旨にふさわしい記事になったね!

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今年は、無口になろう。

なんでかというと、去年、ある人から「あなたは、もっとことばを大切にしたほうがいい」

と言われてしまったことがあって、

よくかんがえると、小さなころからほんとうによくしゃべる子で
ほんのりと好きだった男の子にサイン帳をお願いした高校生の卒業式には
「あなたの第一印象は、ステレオ」
とかいてあって、びっくりしたこともあったくらいで(笑)。

ことばを大切にしてこなかったから、
ことばに近づくことも
ことばと仲良くすることもできていなかったのではないかな。ライターのくせに。

いまおもえば、わたしが過去に出会ってきた大好きなアーティストさんとか
どうしても惹かれてしまう類のひとたちというのはみんな

じりじりと・・・という表現が正しいのかわからないけれど
うーん、ひりひりと、、、いや、それはこちらの感情だな。

そうだ、まるでことばが、感情の塊になってぽろりと口からこぼれてしまったかのように
話をする人が多かったとおもう。
それは、とても正しいことばのあり方のような気がする。

口を開いてもガラクタしかでてこないのなら
いっそ、だまってしまったほうがいい。

「ほんとう」だけで充分なんだ。
なにもとりつくろうことはない。
ことばで嘘はつけるけど、ことばはうそをつかない、たぶん。

ことばも道具も、使い手のきもちひとつなんだなあ。

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「とりとめのないこと、メモ」

言葉をつかう仕事をするなら、
ただひとつの、「ほんとう」をあらわす言葉を
「点」でさがさなければいけない、のだとおもった。

それは、和紙ににじむ薄墨のぼんやりとした点ではなく、
0.1mm以下のまっくろで輪郭のはっきりとした点。
だから、さがすのは簡単ではない。
ときには、和紙の色が黒かったりすることもあって、つらいし、精神をすりへらす作業だろうとおもう。

だけど、つくる側がそうやって、
くっきりとした、ただ一つ「これ」だという点を見つけだすことができたのなら、
読み手の心に、じんわりと広がる薄墨の一滴を落とすことができるかもしれない。

そのわずかな可能性を信じて、わたしは書いているのかもなあ。

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今でこそ本をつくるお仕事をさせていただいているのだけれど、
高校生までのわたしは、まるで読書が苦手だった。

それが今では、一冊の本を編集したりブックライティングしたりするのに、
12〜15冊は読まなくてはならなくなり、
それ以外にも読みたい小説、知りたい物語がいくつもでてきて、
だいたい、ひとつきに10冊以上の本を読むようになった。

そんな、わたしの変化を知った実家の母が、
先日、ぼそりと「あなたが昔本嫌いになったのは、わたしのせいかもしれないね」
と言った。

わたしには3歳つ年上の姉がいるのだけれど、

「小さいころは、おねえちゃんの年齢にあわせた絵本ばかり読んでいたから。
難しくて『つまらない』とごねるあんたを、わたしは叱ってばかりいたんだよねえ」

と。

飽きっぽい母のことだから、きっと、なんども読んだ本をまた読みきかせるのはめんどうだったのだとおもう。

たしかに、「読書の絶対数が足りていないよなあ」 という自覚がある。
漫画や映像にはとことんのめり込んだのに、
なぜ、ここまで活字に拒否反応がでるものかと、ふしぎにおもったこともある。

だけど、3歳になる娘の保育園の教育方針には、
「あえて、数字や文字はおしえないようにする」というものがあって、
それは、好奇心をためてためて、それが満ぱいになって知ったことというのは
短期間で見事マスターし、そのものに対する興味も長く失わないという理論からきているそうだ。

ひとの体も、飢餓状態になると
次に食べたものの栄養の吸収率がぐんとあがるらしいけれど、
それと、同じことなのじゃないかとおもう。

「情報飢餓」なんて、いまの世の中に生きていたら滅多に味わうことができない。
そりゃあすごい吸収力となるのだろうさ。

わたしの本嫌いも、そういうものだったのかもしれないな。
なまじ、当時から本を読みあさっていたら、
いまみたいに、「言葉とはなんぞや? 」なんてことには
まったく興味がわいていないのかもしれない。

人生なんて、まるで想定外。

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昔、といっても、10年くらい前のSNSが到来する少し前のことだけど、
ブログはもっと個人的なものだった。

いつからか、それがオフィシャルなものになって
SNSと絡まるうちにどんどん加速していって、

私も、いつのまにかお金をもらって文章を書くようになったりしたものだから、
すっかり、自分の本音や気持ちをひっそりと書く楽しみを失ってしまったようにおもう。
「ひっそりならば、日記のように勝手に一人で書き綴れよ」とおもわれるかもしれないけれど、
だけど、それは体重計にのることなくダイエットを続けることに似ているような気もして。

それで、こんなにも閲覧数の少ないブログでなら
そういうことをもう一度やってみても良いのではないかとおもいました。

それとも、ライターを名乗る以上は、
言葉は、だれかの役に立つものでなければいけないのかしら?

そういう意見をいただくまでは、ちょっとぼやっと文章をつづってみようとおもいます。

宜しくお願いします。

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「健康になりたい」「ずっと健康でありつづけたい」
これはすべての人に共通する願いではないでしょうか。

健康への意識は35歳くらいから徐々に高まり、
40歳で危機感に変わり、50代に入って実感をともなうのがセオリー。

「ああ、どうしてもっと体を労わってこなかったんだろう?」
人は不調がでて初めて、「健康」のありがたみを実感します。

また、人によってはとくに不調がなくても、
「いつまで健康に働いていられるだろう?」
と漠然とした不安を抱えているかもしれません。

でも、それではあなたの言う「健康」ってなんでしょう。
あなたは健康な状態とは何か、これまで考えたことがありましたか?

たとえば「健康面で、なにか気になることは?」と質問すると、

多くの人が、「中性脂肪の数値がちょっと・・・」などと
数か月前の健康診断の結果を持ちだします。

でも、その数か月前の数値が
どこまであなたの健康状態を正確に反映しているのでしょう。

私の知り合いに、「趣味は健康診断」という人がいます。
彼は、毎月のように血液検査をしています。

そしてこう言いました。
「年に1回の検査なんて何の意味もない。体は毎日変わるのさ。僕のように毎月検査して初めて〝健康な状態と不健康な状態〟がわかり、〝自分の健康の基準〟が見えてくるんだよ」

私もそう思います。
健康診断の数値は、365日のたった1日のあなたの状態を
切りとったに過ぎません。

しないよりは「目安」になるけれど、
それが「自分の健康状態」の全てだと思うのは、
少し安易なように思います。

私は、多くの人は「本当に健康な状態」にある自分の体を
まだ知らないのではないかと思っています。

多くの人が病気にかかってから「健康」のありがみを知るのは、
「不健康な状態」を知ってはじめて「健康な状態」に気づくからです。
それ以前の漠然とした不安では、
健康になるための行動をとるまでには発展しにくいですよね。

私が健康に目覚めたきっかけは、
壮絶なアトピーを経験したことです。

当時は唇と鼻の粘膜がつながり、手の甲はゾウの皮膚のように灰色に盛り上がっていました。仕事がケーブルテレビのリポーターでしたから、本当に憂鬱な毎日を過ごしました。

でも、治ったんですね。薬を使わず、お金のかかる民間療法にも頼らず。
周囲の協力や自分の努力によって、治したのです。

そしてその経験から、
私は自分の体質は身体のどの部分が弱くて、そのためにはどうすべきかを知ることができました。

人には持って生まれた体質があります。
その体質を無視して、健康になることは難しい。

そして「不健康な状態」を経験するのは、自分の体質を知る大きなチャンスでもあります。
不健康な状態とは、何も病名がつくものばかりではありません。
冷え、繰り返すニキビ、倦怠感などの些細と思われる不調もすべて「不健康」なのです。

不健康になる前に体は、必ずなんらかのサインをあなたに送っています。
それは、ほんの小さなサインかもしれません。
そのときには見逃してしまったそのサインを、今度はしっかりとキャッチする。
そのためのアンテナをどれだけ立てていられるかが、「健康のカギ」です。

そうして常に自分の体をセルフメンテナンスできれば、
体をコントロールできるという自信がつきます。それだけで心は楽になるのです。

「今日の健康ネタ」では、
あなたが「自分の体質」を知り、「健康になる(保ち続ける)」ために必要なさまざまなセルフメンテナン方法をご紹介します。

参考にしていただければ幸いです。