最初の読者

3月
2016
13

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箱庭図書館 (集英社文庫)

乙一の「箱庭図書館」では、

階段から転げ落ちてもなお読みかけの本の間にはさんだ指をはなさないという、
ちょっと心配になるくらい「活字中毒」の、乙一の姉(という設定であり、実在の人物ではないらしい)がでてくる。

乙一は、姉とこんな会話を交わしている。

姉 「たっちゃんの小説おもしろいよ。(省略)どうやったら、ああいうの、書けるの?」
乙一「読者を想定するんだ。あとがきに書いた。H先生みたいのを」
姉 「頭のなかに読者がいるの?」
乙一「読者が住み着いている。学校ぎらいの少年が」

その少年とは、幼いころの乙一のことだ。
そして乙一はこう続けている。

なにか文章を書くと、頭のなかでその少年に読んでもらって反応をたしかめている。せめて、その子をうらぎるようなものだけは書かないようにしようとおもっていた。

どこかで、私はおなじようなフレーズをきいたような気がしていた。
そして、それが漫画家 浦沢直樹さんであることを思いだした。
浦沢さんも、かつてNHKの番組「漫勉」のなかで

「浦沢少年を裏切るようなものだけはつくれないっておもっているんだ」
というようなことをおっしゃっていた。

自分のなかに、「絶対的な読者」を持つということ。

それは、作品のクオリティを維持するモチベーションとしてはもちろん、
作品そのものを「強くする」んだろうとおもう。

だけど、それが「かつての自分」であるというのは、
どういう感覚なのだろうか、凡庸なわたしには、ちょっと想像がつかない。

ライターの私は、いつも書いている記事によって読者がかわるし、
依頼主のもとめるお客さんを想像して書いている。
だけどきっと、それは乙一や浦沢さんだってもちろんそうなのだろうとおもう。

実際、この本のあとがきには、

僕は小説のアイデアがなかなかおもいつかない人間なのです。だからアイデアを読者に募ってみましょう、そうしたら仕事をします、小説かけます、という話を編集者にしたところ、この企画がスタートしたというわけです。
(省略)
ボツ原稿を送ってもらう、という企画の性質上、投稿者の大半が作家志望者なのではないかとも考えていたんです。それなら、こういう題名(「第1章の小説家の作り方」のこと)で、こういう内容だったら、素通りせずに注目してもらえるんじゃないかという期待がありました。

と書いてあって、むしろ強烈に読者のイメージをもっていることがわかります。

だけどきっと、乙一や浦沢さんには、さらにそうした「読者をイメージして書いている自分」のことを見ている第三の俯瞰者がいて、それが「乙一少年」や「浦沢少年」のことなんだろうとおもうのです。

すごい人というのはどんな仕事の人でも、
みんな、そうした俯瞰する目をいくつも持っているのだと、
以前、このサイト内のインタビューに協力してくれた紙芝居師のヤムちゃんがおしえてくれました。

いつかは、わたしも・・・。
そこにたどり着くまでの道筋なんてまったく見えないけれど、
まだ見ぬ景色に焦がれて、悶絶。