40歳って、こわい

1月
2017
25

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2月に入るとすぐに、私は37歳になる。

 

20代の頃は、30代になれることがうれしかった。

 

だけど、そろそろアラフォーと言われる年齢を迎えた今、
40代に突入することが、とてつもなく怖い。

 

 

30代と40代のちがい。

 

それはあくまでも私が思っているだけで
少々、偏っているかもしれない。

 

そのちがいを私は、

 

言葉が、洋服やアクセサリーのように自分の身に纏うものであった30代と、
言葉が、自分の骨肉になる40代

 

と、言いあらわすことができるのではないかと思っている。

 

だから、30代の頃なら

流行の、借り物の言葉をまるで自分の言葉であるかのようにSNSなどで発信することができたし、
そのことへの恥じらいも少なかった。

 
だけど40代に入ると、言葉は自分の存在そのものであるから、
そんな恥ずかしいことはできない。
愛情の深さや、考察、思考の深さがそのまま、
人間としての深さに直結してしまう。

言葉は30代の頃の勢いによるものから、
「存在感」の一部として血肉化するから、誤魔化しがきかない。

 

あるレストランへ行ったときのこと、

そこは、サービス料金を提示している店で
各テーブルには、オーダーなどをとってくれる専属の店員さんがついていた。

だけど、私たちのテーブルの店員さんが
オーダーを1つ、忘れてしまった。

私は、そのことを近くにいり手の空いている店員さんを呼び止めて伝えてしまった。
するとすぐに、担当の店員さんがやってきて「申し訳ありませんでした」
と頭を下げた。

 

私は、「いいですよ」と軽く言ってすぐに食事に戻ったのだけれど、
ふと、思った。

これでは足りない。

40代になった私は、こんなことではいけない。

 

40代の私は、相手のもっとも望んでいる言葉をかけられる人でなければならない。

さっきのケースでいえば、
担当の店員さんがくるのを待って、そっとそのことを告げるべきだったし

謝られた時には、
「もうお腹がいっぱいだったので、大丈夫ですよ。お勘定に入っていなければ問題ないので」

と言えばよかったのだ。

 

40代になったら、

相手の望んでいる言葉をスマートにかけられる人でなければならない。

季節の花の名前を、すらりと言える人でなければいけない。

その花について詠われている、短歌や俳句を一つは知っていなければならない。

物の価値を知って、それを愛でる習慣をつけなければならない。

 

「ならない、ならない」でがんじがらめになっているのは
まだ、私が30代だからだろうか?

だけど今、見えている40代のハードルはとてつもなく高い。