子どもがいることが自然な社会

2月
2017
21

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またまた日経DUALですが、こんな記事がアップされていました。

「保活が大変!」という記事は多々あるけれど、ここまで真に迫ってくる記事は初めてかもなあ、と。書き手のくやしさや苦しさがぐるぐるととぐろを巻いているかのような力のこもった文章。
最後の、

欲しい福祉サービスや助成金などは多々あるが、願って止まないのは、日本が「子どもが社会に歓迎されている」と感じられる国になること。

 

ということばには、100回頷きました!

 

妊娠中も産後も、電車の優先席に座るようになって初めて見えてくる世界がある。
そして残念ながら、私が母親になって一番増えた口癖は「すみません」と「ごめんなさい」でした。

そして、こうした言葉ばかり口にしていると心はどう変化していくかというと、
「私が産み、育てているものは一体なんなんだろう?」と、我が子のかわいらしさにネガティブなフィルターがかかっていくんです。

 

「そんな、おおげさな」って思われるかもしれません。

 

だけど世間の母親なんて、誰しも1年生。まるで自信のないところから育児をスタートさせているわけです。
なのに、夫の帰りは遅くてあてにならない。育児を一緒にしているわけではないから、孤独な気持ちや大変さの本当のところは理解してもらえない。経験者であるはずの自分の母親には、「私たちの頃は・・・」と武勇伝を語られるだけ。
狭いマンションの中、近所迷惑にならないようにとひっそりと子どもと二人きりで過ごしている母親が気晴らしをしようと電車で外出したら、あちこちからきこえてくる「(ベビーカー)邪魔なんだよ」といわんばかりの舌打ち。

こんな社会ではとても、子育てをしている自分を誇らしく感じられるはずがないんです。
それに加えて、もしこの記事の筆者のような「保活」での苦悩、いざ入園した保育園での信じられない光景を目の当たりにしたら?

人によっては、「子どもを育てることは悪いことなんだ」という気持ちが湧き上がってくるのだって、ちっとも不思議ではありません。
私が筆者だったとしたら、とっくに働くことを諦めていたでしょう。

 

長女が2歳のとき、結婚式があって私は姉と3人でグアムに行きました。
グアムは南国特有のゆったりとした時間が流れていて、そして子どもがそこにいるということが、とても自然な国だった。

結婚式の会場では、私は食事のサーブをしている女性から声をかけられて、
「あの従業員が、どうしてもこの子(娘)にフルーツ盛りをあげたいというのだけれどあげてもいいですか?」と聞かれました。
わけがわかりませんでした。「どうしてそんなことしてくれるの?」って不思議な気持ちになったんです。

だけど、その人は単に子どもがかわいいからそうしたいと思ってくれただけなんですよね。私はそのとき、こんなふうに皆からかわいいと思ってもらえる子どもを育てていることが、誇らしかった。

 

残念だけど、東京にいてそんな気持ちになれたことはありません。

もちろん、いつもいつも嫌なおもいばかりしているわけではなく、東京にだってフレンドリーに話しかけてくれるおばさんや席をゆずってくれるサラリーマンもいます。本当にそれはありがたいことです。

だけどその一方で、「妊娠中は嫌がらせを受けないために妊婦マークは隠していた」という妊婦は、めちゃくちゃ多い。子どもと一緒に電車に乗っていて、とても子どもには聞かせられないような言葉をかけられたことのある人だって、本当に多いんです。

私は昔の日本を知らないから、今がどうとかっていうことはわかりません。
だけど、子どもを産み育てることが昔よりもメジャーでなくなってきている昨今、子育てへの理解者が今以上に増えていく可能性はそこまでないと思うんです。

だから、「社会に歓迎されたい」とまでは言いません。だけどせめて、「子どもがいることが自然な社会」ではあってほしいな、とは願っています。