赤ちゃんの潜在パワー

3月
2017
03

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赤ちゃんの持つパワーにはすさまじいものがあると感じている。

快不快を表現するだけで周囲の大人をオロオロとさせる、そのパワー。
だけれども、二人目ともなると上の娘との時間を優先させるべきときもあって、なかなかすべての要求に応えられるわけではない。

そうして、ギャン泣きする赤ちゃんの声をバックミュージックに上の娘と湯船につかりながら、ふと、「赤ちゃんの要求ってなんなんだろう?」と考えた。

 

赤ちゃんの愛らしい目鼻立ちは、大人に愛されるためのものだとどこかで聞いたことがある。赤ちゃんの「人の機嫌などを見抜く力」は大人以上で、それもまた、弱きものが生き抜くための才能だとも。

だけれどもなんだかそれでは、まるで赤ちゃんが大人に愛されるためだけに生きているかのようで、どうも腑に落ちない。
そういうのって、大人のための育児に都合のよい解釈のような気がして好きになれない。

赤ちゃんってもっと、ポジティブな存在でしょ。

 

思うに、赤ちゃんの「要求が通る」という経験は、人として初めての「成功体験」を得るためのものではないかと思う。いわずもがな成功体験は自己肯定感には欠かせないもので、成長の礎となって、その後の心の発育から余計なものを排除してくれる重要な要素だと思う。

そして、自己肯定感によって自ら愛される存在であることを確信している人を、周囲はむげにはできない。たぶん、ここ重要。
赤ちゃんの妙に納得させられるパワーの源って、ここにあるような気がする。
大人ってきっと、そのパワーを減退させないために存在しているんだよね。つまり、付加価値的な存在でしかなくって、重要ではあるけれど主役ではないわけで。

 

そう考えると、むむむ。生まれてから半年くらいまでの育児には、その後では挽回のきかない何かがあるような気がしてくる。

 

すごいな赤ちゃん、深いね育児。